GHQが日本人を計画的に人口削減できなかったのは慈悲心などではなく、実行能力の欠如と怠慢、保身と利益の執着の結果だ。こうした偽善と欺瞞は必ず報いを受けることになる。

何よりもまず東アジアのモンゴロイドの繁殖力が高すぎる。欧米の植民地支配がこのような惨禍を招いたのではない。

支配民が、感情よりも論理と理性の打算を優先し、経済的利益のために異教徒の劣等人種を滅ぼすことを怠り、労働奴隷として繁殖を許したことが元凶だ。

旧約から続く神の復讐、正義、怒り、戦いの性格はキリスト登場以後も変わっていない。復讐、正義、怒り、戦いを前提にした愛と平和から愛と平和のみを強引に分離してはいけない。

 

南アジアの人種は古代の支配勢力の白人と原住民(黒人、アジア人)の混血によって成立した人種なのだから、インドを植民地支配したイギリスはインドに白人を大量に移植させ本来の混血傾向をさらに推し進めてやればよかった。

南米でヨーロッパ人による征服と同時にウィルスによってインディオの人口が激減したのは神が起こした強力な奇跡の一つである。

 

 

論理と理性の本性は暴力であり、愛情が主導権を持たなければ論理と理性の暴力的性質は最大化に向かう。

「全ての子どもに教育を受けさせるべきだ」との論理と理性の要求に従った運動が、国家という巨大な暴力機構に吸収され義務教育制度を確立したが、人間は見ず知らず他人の子どもに愛情を持つことなどできない。

 

「全ての子どもに教育を受けさせるべきだ」との論理と理性の要求に従った運動が、国家という巨大な暴力機構と協調して義務教育制度を確立したが、人間は見ず知らずの他人の子どもに対して我が子のような愛情を持つことなどできない。

愛情の欠落した論理と理性のみの暴力的性質が構築した義務教育制度は、国家のために抵抗力の弱い子どもをを経済的兵畜にするための訓練を強制する徴兵制ならぬ徴学制となって子ども達を利用し搾取し殺害するようになった。

 

政府と医療は高齢者に対して延命を推奨するが、見た目もかわいくない、自分の家族でもない見ず知らずの高齢者の長寿を願うのは愛情からではなく論理的、理性的な判断の結果である。

論理と理性という暴力が高齢者の過度な延命を要求し、本来なら老衰で安らかに死ぬはずだった老人に鼻チューブや点滴を突っ込み苦痛を長引かせて、老衰死を拷問死に変えている。

論理と理性という暴力の要求に従って、高齢者の長寿を推進した国家は、永遠に死なない高齢者を大量に作り出し国家の自壊を招いている。

政府は「老人や生命力の弱い人間でも長生きすべきだ」という一度ついた嘘を否定すると自らの誤りが明らかになってしまうため、多大なコストと損害を払って嘘の整合化に固執し、嘘を起源にした体系、論理を組み立て、嘘を維持するためのポストを官僚に用意し、老人を無限に生かして人類を滅亡に追いやろうとしている。

 

未熟児や帝王切開といった本来の自然状態では死ぬ運命だった弱い人間を過剰に保護する現代医療のシステムが、著しく知能と精神が退行した病理のアイデンティティを持った人間を大量に繁栄させる。

彼らはあらゆる知的、精神的、肉体的健康に敵意を持って積極的に攻撃し、世界を自らの低レベルな水準に引きずり落とそうとしている。

 

 

神に愛された罪なきお毛もの(動物)はその暴力性すら祝福され自然を構成する秩序の一部として組み込まれているが、
毛の禿げた悪臭を放つ堕落した奇怪な猿の出来損ないで、地上に存在してはならなかった人間を暴力性から解放するものは霊性の勝利のみであり、同調性やテクノロジーの進歩は人間から暴力性を減らすどころか、暴力性を拡張している。

信仰や主義によらずに若く健康な男から暴力性が低減しているならば、それは生き物として病弱化しただけか、形を変えた暴力を別の領域へ発散しているだけだ。


「平和な日本」という汚らわしいスローガンの下で暴力の対象とその実践を消極的かつ狡猾に転嫁させた二ホン型チンピラが蔓延している。街から殴り合いの喧嘩や強盗が消え、街路に紙屑ひとつ見当たらない時代こそ最も注意しなくてはなならない。

力の強い男が減ったことで女の腐ったような女、女の腐ったような男共が繁殖し、温存された喧嘩や強盗と同じ暴力性が狡猾に潜在化し、本来の自然状態では暴力を行使する権利のない小人の食人種が「社会性」というプラスチック製の市民的暴力の棍棒を共有し、自分よりさらに弱い子どもや動物対象を執拗に付け狙う病的で凶暴な犯罪が公然と蔓延している。

 

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