野良猫の暮らす環境に人間が置かれた場合、人間は一ヶ月待たずして餓死する。
すなわち人間より猫の方が生命力が強い。命の価値は生命力の強度によって測られるべきである。


文明人と称する人間の大多数は一部の天才が獲得した知恵や技術やシステムを暗記し、模倣し、隷属するだけの、芸を仕込まれた猿以下の存在である。エリートが制作した法律や科学でたまたま市民の形を成しているだけの、誰かの頭の中から産出された抽象化された壁のシミのようなものでしかない。

そこに求められるのは寄生虫の資質であり、人間性が育つ余地などない。

一切教育を受けずに育った8歳の人間を森の中に放り出し一生涯サバイバルさせたら、狩りの仕方も、農業も、火の起こし方も発明できずに地球上で最も無様な姿を晒して死に絶えるだけ生き物もどきの本性が暴かれることだろう。
裸一貫で生きているゴキブリの方が人間より遥かに生命力に溢れ価値がある。

 

 

車に乗っていると身体能力が退化するように、道具への過度な依存は使う側の身体構造が変化する。

一人の天才が作り出した発明の恩恵で生活を規定し生命を形作る多くの人間は過去の専制君主の亡霊に身も心もレイプされている。

彼らの腕、足、脳、目、耳、それぞれの部位が他人の頭の中で創出された支配から成り立っており、精神すらも例外ではない。創造者の支配に対して創造者が挑戦する神話的闘争のみが個人を開放する。

歩くことをしない人間は足が退化し、手作業の労働者は腕が肥大化していくように、細分化と分業化によって人類は一から多へ進化が分岐していく。

ある階層の人間達は未来ではゴキブリに捕食される生命体に進化しているかもしれない。