人間は動物への徹底した加害者、先制攻撃者

 

ライオンより“人間”が怖い?動物にそれぞれの声を聞かせた結果…人間の方が逃げる確率“2倍”高い 南アフリカ

https://www.fnn.jp/articles/-/598739

 

カナダの研究者たちが南アフリカで、野生動物にライオンのうなり声と人間の声を聞かせる実験を行った。

その結果、ライオンよりも人間の声を聞いた時の方が、野生動物が逃げ出す確率は2倍高く、逃げるスピードも40%速かった。

 

なぜ、ライオンよりも人間の方が怖いのだろうか。

実験の担当者によると、人間は銃などで多くの動物を殺してきたためではないかということだ。

 

  

動物は人間の生息環境を破壊していないが、人間は動物の生息環境を破壊している。

動物は自分に都合の悪い人間を殺したりしないが、人間は自分に都合の悪いと見なした動物を殺害している。

動物は人間を家畜にしないが、人間は動物を家畜にしている。

動物はビルを破壊して木を植えたりしないが、人間は森林を破壊してビルを建てている。

人間自体が外来種だが在来種の動物は人間を排除、殺戮したりしない。

外来種の人間が帰化種(外来種)の動物を殺戮しているが、帰化種(外来種)の動物は外来種の人間を殺戮したりしない。

動物は人間に仲間を殺害されたり、奴隷にされたり、生活圏を荒らされても許容するが、人間は自分の車に傷がついただけで動物に復讐しようとする。

どれだけ殺害されても動物は人間を憎まず、人間を許容し、どこかのおっさんに自分から寄り添う。

人間はひたすら動物を憎み、攻撃し、どこかのおっさんに自分から寄り添うこともしない。

 

同胞愛や家族愛は人間性の重要な要件ではない。同胞愛や自分のDNAを守るための家族愛は蟻ですら持っている。

昆虫も動物は利己的に生活すること自体が自然のサイクルの一部として地球全体に恩恵を与えるように自然から定められている。

 人類は蟻にすら劣る自然の秩序から逸脱した地球の癌細胞であり、本来は存在自体が犯罪なのである。

 

 

 

 

「畑を荒らされた」との理由で人間が被害者意識を持ち、報復と称して動物を殺害する行為は人間が加害者である。

先住の動物の生息域を人間が侵略したことが原因であり、人間は動物を攻撃する権利を正当化できない。

柵を設置すれば畑を守るという目的は達成されるし、軽度の損害に対して殺害や暴力行為を選択する理由は一切ない。

「畑を荒らす者」より「畑を荒らす者を殺害する」人間の方が邪悪である。

 

 

飼育動物が人間の所有物を破壊しても、動物の活動域を人間が侵略したことが原因であり、その所有者はその動物を攻撃する権利を持たない。

損壊した所有物の弁償を飼い主に要求すれば目的は達成されるし(極めて不寛容で大人気ない人間のやることではあるが)、軽度の損害に対して殺害や暴力行為を選択する理由は一切ない。

「所有物を破壊する者」より「所有物を破壊する者を殺害する」人間の方が邪悪である。

 

 

飼育動物が拘禁された別の飼育動物を狩ったとしても、人間はその動物を攻撃する権利を持たない。

猫が柵に囲われた鶏を狩ったとしても、柵で囲って鶏の逃走を妨害した飼い主に鶏の死の責任がある。

鶏が猫から逃げ切ることができたはずの本来の自然状態を人間が妨害したことによる人間の過失である。

 

 

野生動物が飼育動物を狩ったとしても、人間はその動物を攻撃する権利を持たない。

柵に閉じ込められている牛を狼が襲ったなら、柵を設置して牛の逃走を妨害した飼い主に牛の死の責任がある。

 

 

飼育動物が野生動物を狩ったとしても、人間はその動物を攻撃する権利を持たない。

野生は人間の所有物ではないし、動物こそが野生であり、動物が存在してこそ野生は成立する。

生命が自然を作るのであって、自然が生命を作るのではない。

スポーツ競技のように人工空間の中ですら公平な環境と条件が揃った上での闘争なら自然状態は再現される。

飼っている動物に餌を上げるなら野生動物にも餌を上げてエネルギーを公平にすれば、捕食動物と被食動物の不公平は解消される。

恐らく火星の地表を3時間映したドキュメンタリーを見ても大きな感動は得られない。あれは回転する岩の塊であって厳密な意味での自然ではない。