動物攻撃・ハラスメントの類型

 

以下の人種に共通するのは、奴らが好きな猫は「生きている猫ではなく、死んでいる猫」

死んでいる猫ではなく、生きて、復活する猫を愛さねばならない。

 

①動物虐待型
動物への合法的虐待行為として公的機関に一般市民を装って猫の排除を要求。
ネットコミュニティで一般人を装って猫へのヘイトを投稿。

 


②動物虐待の支持・助長型
交通事故死、動物虐待が起きるのは飼い主もしくは猫の自業自得であると主張する被害者非難。
「猫がうるさいのが悪い」という主張は「うるさい動物は殺していい」 と犯罪を支持している。
「外にいる動物が悪い」という主張は「外にいる動物は殺していい」と犯罪を支持している。

徹底した人間優位と動物をモノと見なす動物虐待側と同じ価値観を共有している。支配という動機も同じ。
動物虐待の権利を承認するメッセージを積極的に発信し、虐待犯罪に対する市民の抵抗力を減殺。


③行政型

・役所が偏見に満ちた動物の衛生リスクなど様々なデメリットを誇張した餌やり禁止のラミネート加工の掲示物で動物好きと動物を執拗に攻撃し公共空間から排除。

・人口至上主義のイデオロギーに駆り立てられ猫を滅ぼそうとする日本人の少数の意見を採用して猫排除の条例化を計画する自治体。

・推奨・努力義務という形で住民に猫の監禁を強要する自治体。
・動物虐待捜査に消極的な警察・検察。動物虐待犯罪に実刑を下さない裁判所。

・警察は5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)の生き物苦手(動物虐待板)板の猫の殺傷方法の紹介や動物虐待の犯行告白を平然と黙認している。

 


④自称保護型 パターナリズム

「地獄への道は善意で舗装されている」という格言の典型例。
生存能力の高い猫を完全に無力な幼児として扱い、猫本来の主体性と能力を意図的に無視し、「守るため」と称して断種や監禁で猫の主体性と自由を抹殺。

野性猫を断種(去勢手術)だけして一切餌を与えない猫の絶滅を目的にする自称「保護活動家」

 

・物理虐待に代わって環境型虐待(室内飼)を誘導。

動物虐待犯罪が発生するたびに、猫の監禁(室内飼)、公共空間から猫を完全排除することだけが唯一の予防策、解決策であるかのようにアナウンスする自称猫好きボランティア。

「性犯罪を防止する唯一の解決策は女をこの世から消すことだ」という教義を持った勢力。
犯罪を作り出すのは犯罪者ではなく、被害者であるかのように喧伝。

猫ヘイトや犯罪勢力の観点に同調し被害者非難、

断種手術が活動のテーマと化している病的な団体も多い。

 

奴らが愛好し保護しようとしているのは動物の持つ玩具的、商品的価値

 

自分たちが押し付ける予防策、解決策、即席のルールに従わない飼い主を敵視し、被害者非難を含有したメッセージを発信。
犯罪者と戦うのではなく、権利を持たない動物や潰しやすい市民側を攻撃して点数稼ぎする自称「保護活動家」。

保健所の動物大量殺戮の妥当性に対する思考停止と全面隷属。

大量殺戮を作り出すのが殺戮組織ではなく被害者であるかのように喧伝する。

「保健所が悪いのではなく殺される動物と飼い主が悪い」「保健所が大量殺戮するのは猫が外にいるからだ」
といった保健所の大量殺戮を責めるのではなく動物と飼い主を攻撃。
勝てない権威と戦うのではなく、権利を持たない動物や潰しやすい市民側を攻撃して点数稼ぎする自称「保護活動家」。

臭くて汚れた農奴の子孫、封建領主の過酷な搾取によって餓死に追い込まれ本来は絶滅すべきだった賤民共、すなわち大衆は税金で運営されるものは全て正しいと信じたいようだ。自分が悪党に搾取されている現実を受け入れてしまえば、無気力で無力な自分の正体が明らかになり、ただでさえ乏しい自尊心が粉砕されてしまうからだ。

 

奴らにとっては自分を守るために公権力を攻撃するより個人を攻撃したほうがたやすい。

 

 

 

自称動物好き 

人間本位の所有物としてのペット、美術品の性質を尊重しているのであって、動物の存在価値を認めていない。動物権利に歩み寄り・同類を装っているが基本的に動物権利と対立した動機と目的を持っている 

自称猫好きブログ・SNSも猫をオモチャとして消費する自分の自慢。

ほのぼの猫動画も、猫を人間の癒しのための道具として消費を促すだけ。

自分勝手に自由な猫を「救助」と称して監禁して、自分本位で世話をして、「自分なりの」善行ポイントを稼ぐことで、光り輝く善性エナジーを貪欲に喰らって、自らを「栄光の超神話的存在」へと高めることに執着する。

奴らは猫が先天的に持つもの、後天的に付随するもの全ては人間が与えたのだから、人間に奪う権利があると言わんばかりに、猫の生命、意思、生来のアイデンティティ、背景、文脈を暴力的に切り刻み、都合よく形を整えて、自らの聖性を見せびらかすためのアクセサリーとして身にまとう。

自分の能力を行使しやすい動物行政という脆弱な分野を狙って、ある種の勝利体験を獲得し、セルフイメージの肥やしにしようとする。

自称動物愛護「あああああああああっーーー!光をー!もっと光をおおおおお!」

 

⑤自称動物保護団体

多くの動物保護団体は無知や誤解からキリスト教的世界観を自然破壊と物質主義の源泉と見なし、敵意すら抱いている。未熟で相対化した生命の概念しか持っていないので、源流から断たれた川のようにすぐに干上がり、ふきだまり、淀んだ沼と化す。

 

多くの動物保護団体は違法の虐待から合法的虐待へ誘導し、制度化した動物虐待をコントロールしようとしている。

幅広い層に合法的虐待の実践を提案し、自分たちのイデオロギーを浸透させることで、合法虐待の集団が違法虐待の集団から動物支配の覇権を奪おうとしているだけだ。

断種(去勢・避妊)が活動のテーマになっている自称保護団体のパラノイア勢力が影響力持ち、団種の主流化中心勢力となっている。去勢主義とも言える強力なイデオロギーに突き動かされて、断種するために日夜貪欲に猫達を付け狙っている。

多くの動物保護団は動物の能動的な「生きる権利」ではなく受動的な「死なない権利」を追求している。

「生まれてくるのは不幸だ。生きるのは不幸だ」と病的なニヒリズムを信じ、動物に無機物であることを押し付ける。

 

 ・保健所から売れそうな猫を無料で仕入れて「譲渡に関わる諸費用」として里親に譲渡の際に一頭34,000円から44,000円のカネを請求、売れ残って年取った猫は保健所に返却する保護団体。

・保健所から引き取った猫を強制断種し、監禁を条件にして里親募集

多くの動物愛護団体は「動物はモノである」という動物虐待勢力と同じ人間中心主義の価値観を共有しているので、状況さえ許すなら動物ヘイト勢力が提案する猫排除の効果が強い法制化の運動に平然と合流することさえある。

動物排除と部分的に親和性を持ち、猫に対する憎悪と攻撃を迎合し、「猫が外にいると迷惑と感じる人がいるので、迷惑にならないために監禁しましょう」などとアナウンスすることで憎悪の最大化させるために奉仕し、排除の具体化と強制化に協力している。 

 

 

アニマルライツセンターは2009年に猫の室内飼い(監禁虐待)の条例化に反対する声明を発表していたが

 http://web.archive.org/web/20091003025133/http://www.arcj.info/dogcat/noraneko_syomei.htm

『東京都を始め全国の自治体で猫の室内飼育を義務づける条例を制定しようとの動きが加速しています。改正動管法の隠されたねらいの一つです。』、『今度は猫たちを室内に閉じこめるよう法律(条例)で義務づけようというのです。』

だがこうも言っている。

『私たちの署名の目的は室内飼育に反対することではなく、室内飼育の条例化(強制)に反対することなのです。』

室内飼育(監禁虐待)には反対していないと言う通り、アニマルライツセンターのホームページでは『猫が外に逃げ出さないように対策はできますか?』『猫を守るため室内で飼いましょう。』といった飼育チェックリストが設けて飼育家庭に監禁虐待を積極的に推奨している。

http://www.bethevoiceforanimals.com/cat/detail/cat_check.html

 

「室内飼育の強制化には反対するが、個人の室内飼育には反対していない」一見すると矛盾した主張のように見えるが、アニマルライツセンターは猫の自由と選択肢を守るのではなく、人間の自由と選択肢を守るための人間至上主義に立脚した政治闘争を展開しているに過ぎないということだ。どこまで行っても「人間のため」であり、猫への愛情などない。

国内で最も影響力の高い動物保護団体が監禁虐待(室内飼)を推奨していたから、行政に代表的な民意として汲み取られて室内飼育の条例化(強制)の発案につながったのである。

 

 

猫を守るためではなく、「人間を守るため」に運動する勢力は自分たちの仕事の作業量と負担を減らすために守るべき対象を室内飼と断種という方法で地上から抹消するようになる。

 

 

世界最大の動物愛護団体「PETA」の実態、保護された動物の9割が安楽死

https://web.archive.org/web/20130410082121/https://buzzap.jp/news/20130408-peta/

 

ペットを殺処分された家族、11億円の損害賠償求め動物愛護団(PETA))を告訴

 

https://jisin.jp/international/international-news/1601050/

 

 

 

高圧的でイデオロギーに凝り固まり猫にも人間にも耳を傾けないカルト化した団体が、 保護と称して外の猫を拉致し、断種手術を強行し、里親に監禁虐待(室内飼い)を強要し、支配的なペット供給組織に成り下がる。中にはNPOの名を騙って実態はペットショップと同じことをやっている連中もいる。

 

徹底した人間優位と動物をモノと見なす動物虐待側と同じ価値観を共有している。「猫を減らしたい」という同じ動機を持ち、強弱こそあれ消極的な虐待アプローチで猫を支配し、猫を滅亡させるために邁進する。

消極的動物虐待団体でしかない。


⑥クレーマー型
権利意識の肥大、はき違え、異様な被害者意識。規格化、管理化していない現象を文明や人間性の敵と信じる神経質な攻撃性(嫌煙厨も兼任)。
フンや鳴き声などの動物の生理現象に対する受忍限度が異常に低く、騒音やゴミを「多いか、少ないか」ではなく、「あるか、ないか」で0か1の二項対立に執着している。

生活音を自分への先制攻撃であると被害妄想に陥り、一方的に飼い主に猫の監禁・野良猫の給餌の停止を押し付けるなどして、野良猫の餓死・地域からの追放などの過大な要求

 クレーム攻撃で行政に圧力をかけて自らの病的観念を一般的なものにしようと画策する。

 

 

⑦子宮系動物保護

母性愛という生理的欲求、子宮の命令に従う女の自称動物愛護派。

「保護」と「支配」の区別に無関心で、把握する能力も持たない。地上のあらゆるものを自分の子宮に吸収しようとする子宮の化け物。

野蛮が厚化粧を施し、母性の全能感を満たそうとする飽くなき欲望で、子宮を構造化し、政治体制化しあらゆる対象に無力な赤子であることを押し付け、意思と主体性を否定し、実際に器官切除などで動物を赤子のように無力化して監禁する。

女は猫に関して黙っていなさい。猫は女の友ではない。猫を弱者の象徴とみなす女は猫の本性を理解してもいなければ信用もしていない、それは本当は愛情などではない。

 

 

自称中立の動物権利の攻撃

動物保護の前進のニュースについて懐疑的なコメントをする反動勢力。ちょっとつついてみると「善とは何か?悪とは何か?」この次元から議論をスタートさせる。

善悪への懐疑の先に理想的な民主主義の未来が待っていると妄信している

 


⑧無自覚バカ型
・公道にまで「ここで犬にフンをさせないでください」の掲示物を勝手に貼る

・自宅の敷地外に鉢を並べて周りに猫除けペットボトルやトゲ山を並べて通行を妨害したり、自転車をパンクさせる

・自宅の敷地内から公道に向けて感知範囲を広く設定した猫除け超音波機械を設置し、通行人が通るたびに通行人に向けて超音波を発射。

 

公道の電柱に「ここで犬にフン・尿をさせないでください」の掲示物を貼っているバカ対策
こうした掲示物には以下の文面を印刷して上から貼り付ける。もしくは掲示物を貼った家にポスト投函する。

 

 

公道で通行者に命令したり、通行者を攻撃する掲示物を貼る権利はお前にない

クレーマー ただのわがまま お前が迷惑
他人に命令して気持ちがいいか?
お前に命令する権利はない
歩道はお前の部屋ではない
お前が気にしなければ丸く収まる
こんなことやってるのはお前だけ
無礼、傲慢、不寛容、幼稚な人間は社会にいらない

 

                                             https://peach-tiger.jimdofree.com/

 

 

 

過激なリベラルやスピリチュアル系の異端的な実践運動としての動物保護

 

本当に残念なことだが、動物権利運動が過激なリベラルやスピリチュアル系の異端的な実践運動の中心的なカテゴリーの一つになってしまっている。

既存権威や伝統的倫理に何らかの敵意を持つ人々が、動物をアナーキズムや異教趣味(ペイガニズム)的象徴に結び付けて、伝統的倫理の権威を揺るがすための戦略として動物保護を利用している。

彼らは致命的な誤解と動物に対する潜在的な侮蔑意識から、道徳の領域を完全に踏み越えた自由を動物性と定義し、動物を普遍的倫理に対立する象徴に結び付けている。動物に対して失礼で、動物に対する差別意識の裏返しだ。

動物を精神的下層階級と見なす彼らは精神的下層階級の地位を優遇させることで、普遍的倫理の周辺を攻略し、その覇権を揺るがそうとする。

彼らは聖書にある動物保護についての記述や、大アントニウスやアッシジのフランシスコなどのキリスト教における動物と自然保護の歴史を黙殺し、非キリスト教的な前例や教典を動物権利運動の典拠にすることで、異教の道徳的優越を広報している。

こうした世界観と価値観を持つ勢力が動物保護運動の主導権を握っていることで、動物権利がサタニズムやペイガニズムの文脈として懐疑され、反動に倫理的正当性すら与えてしまっている。

動物権利の運動が伝統的倫理の文脈に組み込まれたり、既存権威勢力が合流した時、彼らがどのような反応を示すか見物だ。 

 

 ウィッカとはなんですか?ウィッカとは魔術の事ですか? Got Questions
https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-wicca.html

ウィッカとは、特に欧米で人気が出始め、受け入れられ始めている宗教です。
「本当の」ウィッカが何なのかを教えると主張する本やウェブサイトが多くありますが、
ウィッカを行う人々の間でも果たしてウィッカがどういう物なのかという決まった理解はありません。
その理由にはウィッカが50年ほど前に始まった宗教であることも関係しています。
ウィッカはジェラルド・ガードナーが19401950年代にフリーメイソンの儀式も含めた様々な宗教の伝統を整理して作った信仰です。
ガードナーが自分の宗教についての本をいくつか出版してから、多くのウィッカの分派が出てきました。
ですから多神教的であるウィッカンもいれば、一人だけの神、または女神を礼拝するウィッカンもいます。
他にも自然をギリシャ神話の女神、ガイアと呼んで自然崇拝をするウィッカンもいます。
キリスト教の教理を部分的に受け入れて礼拝するウィッカンもいれば、キリスト教を全面的に否定するウィッカンもいます。
大多数のウィッカンは輪廻転生を信じています。

多くのウィッカンは自分の信じている汎神論の神々にサタンが含まれている事を、サタニストと自分の教理的違いを主張して全面的に否定します。
ウィッカン達は一般的には道徳の相対性を主張し、善や悪、正しい、間違っているなどというカテゴリーを嫌います。
ウィッカには一つの決まりがあり、レデ、または魔女の信条と呼ばれ、「誰も傷つけない限りしたい事をせよ」という物です。
誰も傷つかないならば何でもして良いというこの決まり、このレデは不道徳に見えます。