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猫の避妊・去勢手術は強制断種であり、数世代で猫を絶滅させる消極的殺処分である。

大量殺戮を実行する政府が絶対化した「猫を滅ぼす」課題の下で積極的殺処分(ガス室)に代わって、消極的殺処分(断種・監禁・餌槍禁止による餓死)を推進しているだけだ。

 

政府が執着している「猫を滅ぼす」という絶対化した論点に異議を唱えることは、日本人にとってタブーとなっている。

自称動物保護活動家は殺処分の微調整に献身することで自らの存在感を保持しようとしている。

 

動物保護者を装った一部の狂信的な断種カルトは街の猫を片っ端から捕まえて断種(避妊・去勢)手術を強行している。自治体が足並みを揃えて飼い主に猫の断種をアナウンスすることで、提案は実質強制になろうとしている。

「種の保存」の考慮、慎重論すらないことがこのヒステリーの狂熱を物語っている。

奴らは猫が何匹いれば受容するのか、何匹いれば異常の烙印を押すのか判断基準すら設けず、猫の妊娠そのものを敵視している。さらに断種に加えて室内監禁をアナウンスし、消極的殺処分のあらゆるプロパガンダやキャンペーンを展開し猫を今世紀中に絶滅させようとしている。

 

生命機能の抹殺に執着する憎悪に満ちた断種政策によって猫の滅亡を計画する汚らわしい偽善者共(自称愛護団体・自称活動家・自称専門家)は「街にいる猫を全て断種すれば猫は100年以内に絶滅する」という真っ当な指摘に耳を傾けようとしない。

生物は絶滅しないためにいかなる環境でも妊娠し子どもを産む。皮肉なことに猫を滅ぼそうとする邪悪な人間が猫の個体数を減らしたことで、猫の出産の普遍的価値と必要性は歴史上類をみないほど高まっている。

 

 

麻酔をしていても猫の体を傷つけていることに変わりはない

断種は医療行為という仮装を施した動物虐待であり、動物虐待を洗練し合理化、システム化したものである。

猫をぬいぐるみと見なす飼い主の都合によって、「猫の爪から家具を守る」、「猫を喧嘩の傷から守る」ためという強制断種と同じ理屈で、猫の爪切除手術が違法とされることなく平然と行われている。

 

動物権利を確立していない現在では、動物の生殺与奪は「ぬいぐるみに対する愛着」といったレベルのモノに対する感傷や、個人の漠然とした道徳心やフェティシズムに委ねられているだけであり、こうした感傷の枠内である限りあらゆる動物虐待が正当化されている。

衛生リスクが少しでもあるなら猫の体の一部を切除していいとう主張がまかりとおるなら、猫の足を手術で切断してもいいことになる。

 

 

 

怪我や病気の生命に関わる緊急時以外で猫の体にメスを入れることは、医療的手段を用いた動物虐待である。

手術は猫の生命の回復と維持を目的にしているからこそ、正当化されるが、断種は猫の生命の回復と維持に対立する。

動物の生殖行為を病気の一種と見なし医療行為に器官切除を正当化するなら、その人間こそが病気である。

 

「野良猫として生まれてくる不幸な猫を減らすため」と奴らは強制断種を正当化するが、断種され子孫を残せないことはもっと不幸だ。
「生まれてくる自体が不幸であり、生命など最初から存在しないほうがいい」という極めて退廃で虚無的な発想に基づいている。

 

低劣な破壊本能を温存したまま、末期的なニヒリズムに陥った平均的な人間達が、自らの卑小な価値観と歪んだ精神性を様々なプロパガンダを用いて普遍化していながら、その報いを自ら受けることから逃避して猫や犬をスケープゴートにしている。