動物への給餌(餌やり)を攻撃するよくある詭弁と反論例

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自閉的な低い視点に留まらずに、給餌を問題視する人間を問題視すべきである。

 

「動物への餌やリは身勝手」


動物の餓死を強要し命令するお前こそ傲慢で身勝手なモンスターだ。

 

「メーワク、メーワク、メーワク、メーワク」


1.父親のチ×ポと母親のマ×コから産まれた恥知らずなファックの子よ、動物を攻撃して気持ちいいか?

お前が親から受け継いだ唯一の習性はファックだけだ。誰ともファックできないから動物を狙うようになったんだろう。迷惑なのは大音響で攻撃的ノイズをわめき散らすお前だ。

お前は死んで腐りきった化け物で、汚らわしいヒステリーを世の中に伝染させる汚染源だ。

 

2.「迷惑」という曖昧で漠然とした概念を武器にして自分の気に入らないもの制限・犯罪化・服従させようとする者ほど傲慢で幼稚で不道徳なものはない。

 

3.不必要なことに必死に執着し積極的に分断、対立、害悪を作り出しているのはお前らだ.

 

 

 「常識でしょ」

 

1.こんなことを言ってる(やってる)のはお前だけだが?

 

2.非常識なのはお前だ。他人に命令する権利はお前にはない。お前は国民の代表ではない。

 

3.「常識」を誰かを攻撃したり、自分の言いなりにするための武器として悪用する者ほど非常識で、醜悪で、幼稚で、不道徳なものはない。

 

 

「公園は動物に餌をあげるためにあるのではない」


1.本来、公園は「動物に餌をあげてはいけない」場所でもない。

本来、公園は「動物への給餌を妨害する」ための場所でもない。

本来、公園は「動物を餓死させたり、排除する」ための場所でもない。

本来、公園は「誰かに命令する」ための場所でもない。

世の中には絶対的なものと相対的なものがある。どうでもいいことに、いちいち白黒つけて執着するな。

 

この他にも「ベンチは座るためのものだ」と主張してホームレスを排除する連中もいるが、

ベンチは「寝てはいけない」ものではないし、ベンチは「寝させないために」あるのでもないし、ベンチは「ホームレスをさらなる疲労に追い込むために」あるのでもない。

 

2.わがままを言ってはいけない。公園はみんなのためにあるのであって、動物嫌いのためだけにあるのではない。市民同士の寛容によって成立する公共施設だ。自分のために誰かに禁止を命令する権利はお前にはない。

 

3.動物がいても公園本来の「憩いの場」としての用途を歪めない。電車内の音楽・携帯通話は電車本来の「移動の」用途を歪めない。

 

 

「猫への餌やリは無責任」「猫に餌だけやるのは無責任」

裏の意味:援助するなら自由をはく奪し支配するのが義務。


1.飢えた者の生命を守る責任を否定し、アスファルトや土を整備する責任を優先してはならない。

 

2.アスファルトや土、誰かの気分を守るために生命を見殺しにしてはならない。お前は生命を尊重する責任を果たしていない。

 

3.餓えた動物の見殺しほど無責任で不道徳なものはない。

 

4.援助と支配の区別をつけろ。

人間には餓えた動物を援助する義務と責任があるが、動物の自由を剥奪し、支配するルールなどない。

飢えた動物に援助するのは愛情だが、動物の同意を得ずに監禁、断種、消極的に殺害するのは愛情ではない。

 

5.誰に対する責任か?どんな責任なのか?

(主語が欠落した精神異常者の鳴き声には具体的に反問すること)

 

 

 

「非常に非衛生で迷惑」


1.宮殿の庭園でもない路上に過剰な衛生を追求する必要がない。

2.快適な気分やコンクリートの清潔さのために動物を飢えさせていいわけがない。

些末な快適さに執着し、生命を見殺しにしてはならない。

お前は気分や快適さの尊重だけに執着して、飢えた者の生命と飢餓の苦痛を軽んじ、攻撃している。軽薄で表層的なものばかり信仰し、本質的なものを必死で攻撃している。

 

3.猫に与えられた食べ物は猫が食べる。猫のフンは少量であり、土に排泄して自分で片づける習性があり、土に分解されるので臭いも衛生上の問題は発生しない。
尿自体に臭いはしない(外路に染み込んだ尿の臭いを感知できる人間がいるなら犬並みの嗅覚の持ち主である)。

 

4.自分の快適な気分や清潔さを優先するわがままで傲慢な人間の妨害行為のせいで、善意ある人間と飢えた動物たちが大変迷惑している

 

5.わがままを言ってはいけない。快適さや気分を優先し、飢餓の苦痛を軽んじる人間ほど傲慢で不道徳なものはない。

 

6.一部の人間の気分や快適さのために動物を間接的に殺そうとする感覚は動物虐待の源だ。気分の問題と生命の問題を均質化したり、本質より軽薄さの優先を強制する人間ほど不道徳で邪悪なものはない。

 

7.

 

「羽や毛やフンで人間が病気になる」

 

1.お前のケツには拭き取れなかった糞がこびりついているはずだが、健康被害の原因になったか?

便器にこびり付いた糞はお前を病気にさせたか?バキュームカーの作業員はみんな病気になったか?


2.例えば?なお、例外は例外でしかなく一般化する必要がない。

3.リスクを誇張している。住民自身が、路上で生活しているのでない限り糞・生ゴミに

直接の接触はおこらず雑菌が体内に入り込む余地はない。

 

3.可能性が「あるか」、「ないか」 0か1かの二項対立に陥っている。可能性が「高いか」、「低いか」でないと意味をなさない。「羽や毛やフンで人間が病気になる」ならなぜ多くの人間は病気になっていないのか?

猫の室内飼い(監禁虐待)のよくある詭弁と反論例の冒頭参照

 

4.猫はとってもきれい好き。うんちしたら上から土をかける習性があるので悪臭も人間に感染するような菌は発生しない。

 

5.まともな人間はお前と違って地べたを這い回らずに靴を履いて二本の足で歩いているから地面に落ちた糞など気にもならない.

 

6.人間の糞の雑菌はトイレットペーパーを貫通する。フロでおならをすると、大腸菌もお湯に溶ける(週刊ポスト 2016 残念な雑学 フロで放屁すると大腸菌もお湯に溶ける)。

トイレのあと手を洗わない人は15.4%(https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/382c30207ce1c48777024a7222a5b9e1eef8e27e)

朝の通勤ラッシュの乗車率は100%を越えている。あなたは毎朝小便・大便の菌に触れている。菌に触れること自体は大した害ではない。人間が土の中に埋まった猫のフンに素手で触れる機会はない。猫のフン尿の衛生リスクは皆無に等しい。

 

 

 

雑菌には触れた方がいい! 専門家が教える、知らずに免疫を下げる“悪習慣”

http://ure.pia.co.jp/articles/-/26657

 

7.菌があるか、ないかで害と判断するなら人間は死ななければならない。

人体を構成する細胞の数は数十兆程度だが、体内に生息する細菌の細胞数は100兆を超える。

こうした体内微生物が、免疫系など人体の仕組みと密接な相互作用をしていることを考えると、

人間とは、ヒトの細胞と微生物とが高度に絡み合った集合的有機体とみるのが適切だ(WIRED 人間はヒトの細胞と細菌から成る「超有機体」)。

人間を構成している細胞のうち、本当に人間に属するものは10分の1しかない。残りは微生物だWIRED 体にすんでいる細菌のマッピング)。

 

 

 


 「安易な餌付けが地域生活を脅かしかねない」

裏の意味:共感と善意の行動は安易で、幼稚で、愚かで不道徳。殺害と傲慢さこそ論理的で成熟していて道徳的


1.地域生活を脅かすのは動物の餓死を強要し、動物の生命よりクレーマーの気分を優先し、人間の利他心を攻撃するお前らのような陰湿な人間だ。

 

2.動物を餓死させることで成立する地域生活は人間の善良さを攻撃し、陰険と性悪をルール化し、倫理を脅かす

 

3.地域生活を猫の餓死や追放という陰険で性悪な行動で定義づけて、攻撃的な振る舞いをルール化して押し付ける者は倫理を脅かす

 

4.例えば?なお、例外は例外でしかなく一般化する必要がない。

 


 「猫に餌をやると『気持ちのよい地域生活』を脅かす」

 

動物を飢えさせたり、餓死させたり、排除するのがそんなに気持ちがいいか?

 


 「安易に餌付けするな」

裏の意味:慈善は感傷で幼稚、見殺しこそ論理的で成熟の証


1.安易に攻撃や排除に走って対立と分断を煽る者ほど無思慮で無神経で幼稚な存在はいない。

 

2.動物の餓死、排除、制限、追放、特定地域から猫を絶滅させようとする「消極的殺処分」は論理的でもなければ、慎重でもなければ、厳正でもない。

 

 

「猫に餌をやると猫が増える」

 

1.些細な快適さのために猫を見殺しにしてもいいのか?

 

2.猫に餌をやらないと猫が減る。猫を餓死させるのは消極的殺処分である。猫を餓死させて減らすか、猫に給餌して増やすかの二択なら、猫に給餌して増やす者が善人である。

3.猫に限らず生物はいかなる環境でも妊娠し繁殖する。奴らは猫が何匹いれば許容するのか、何匹増えれば異常の烙印を押すのか明示していないし、判断基準の設定を進んで回避し猫の妊娠そのものをネガティブな印象を植え付けることに必死だ。奴らは猫の存在そのものを消極的に抹殺しようとしている。

3.猫に給餌して浸る良い気分は、猫を見殺しにして浸る良い気分より遥かに優れている.

 

 

 

  「野良猫が増えると自動車の安全な通行に支障をきたす」

 

そのような事実は存在しない。猫を消極的に殺すために嘘やデマをまき散らすクズは平和と健全さを妨げている。

 

 

 「猫が公園の植物や芝を荒らす」

 

1.猫は自然、植物も自然。自然同士の自然な現象を人間が一々制限してはならない。

猫(自然)が植物・芝(自然)が荒らすなら、それは自然現象である(植物が育つのと同じように)。それ以上人間が干渉する必要がない。

人間に給餌された猫が(半自然)が人間に水をもらっている植物・芝(半自然)を荒らすならそれは半自然現象である。それ以上人間が干渉する必要がない。

人間に給餌された猫が(半自然)が人間に水をもらっていない植物・芝(自然)を荒らすなら、それも自然現象ではあるが、少し不公平である。ならば植物・芝にも水を与えて猫と同じ半自然にすれば公平であり、自然現象は温存される。

 

2.お前は嘘をついている。肉食動物の猫は植物を荒らさない。フンを埋めるついでに植物に損害があっても、いつも荒らしているのではないし、植物を全て枯らしたりしない。ごく少量でたまにしか荒らさない猫を24時間敵視するお前の精神状態に問題がある。

 

 

「猫が増えると虐待犯罪の被害に遭いやすくなる」

 

1.生命、自由、幸福を守るために「治安」「秩序」があるのであって、「治安」「秩序」を守るために生命、自由、幸福があるのではない。秩序や治安や安全は手段であって、目的ではない。

生命、自由、幸福のために「安全」があるのであって、「安全」のために生命、自由、幸福があるのではない。

動物を守るために「治安」「秩序」があるのであって、「治安」「秩序」を守るために動物があるのではない。

「治安」を守るために猫の自由と生命を剥奪するなら、それ自体が犯罪である。

お前は生命、自由、幸福のために「犯罪がない世界」を追求しているのではなく、「犯罪がない世界」のために生命、自由、幸福を攻撃している。

 

・こいつらにとって生命(LIFE)を守るための秩序ではなく、秩序を守るための生命(LIFE)になっている。

・奴らが求めているのは幸福のための治安はなく、治安のための幸福だ。自由な外出を守るために秩序を求めるのではなく、秩序を守るために自由な外出を攻撃している。

・意図的に目的と手段を転覆させることで「神、善、生命を守るためのルール」を、「ルールを守るための神、善、生命」へと貶める倒錯した闇の運動は、神、善、生命から主権を奪い、主従関係を逆転させ、神、善、生命を「秩序」という人工の偶像に隷属させようとようとする

・善のために秩序を奉仕させるのではなく、秩序のために善を奉仕させてはならない。
・精神に機械的運動を奉仕させるのではなく、機械的運動に精神を奉仕させてはならない。

 

2.「ミニスカートの女はレイプされて当然だ」の被害者非難と通底する精神構造

・ミニスカートの女性を守るための秩序ではなく、秩序を守るためにミニスカートの女性を攻撃している。

このような「犯罪がない」という条件だけに拘泥する世界では、「治安」という至上目的に生命、幸福を隷属させるようになり、目的達成のためにより低コストな近道を選択する。すなわち「犯罪をなくす」ために加害者を減らそうとするのではなく、被害者を減らそうとし始める。悪よりも善を減らし、強者を減らすより弱者を減らしたほうが低コストで迅速に目標に到達できるからだ。


・奴らは「犯罪者の餌食である被害者/被害者予備軍を殺せば犯罪者はいなくなる」と考えている
生命、自由、幸福のために犯罪者を減らそうとするのではなく、治安のために犯罪者を減らそうとしているからこのような思考回路に陥る。
・奴らは「治安」という絶対的偶像の下で、犯罪者と被害者を強引に均質化する。そこではどちらがより「治安」という目的達成の妨げになっているかが存在価値の高低を決定づける。

・奴らは「犯罪がない世界を追求するにはどうすればいいか?」というテーマから「地上から生命が消えれば犯罪はなくなる」という結論に至っている。

・「秩序」という人工の偶像を拝み、犯罪がないという世界を守るためにあらゆる生命活動を攻撃し、「秩序」という人工の偶像以外の全ての存在価値を無化しようとしている。

・奴らは善の秩序であるか、悪の秩序であるかに関心はなく、秩序そのものが無条件で史上の絶対善であると設定している。

・奴らは善のための治安ではなく、治安のための善を追求することで、善の絶対的優位性を否定し、善を「治安」という絶対的偶像に奉仕する要素の一つに貶める。「治安」という至上の目的の追求のために善も悪も強引に均質化し、「善をなくせば悪もなくなる」という最悪の方法論を採用する。

「治安」「秩序」を守るために生命を消すという目標を社会が共有したことで、「治安」「迷惑」といった概念は化け物の偶像となってあらゆる領域の生命活動を蝕んでいる。

 

3.虐待犯罪者を減らせば猫は虐待犯罪の被害に遭いずらくなる。

銃所持が違法な国では銃犯罪の被害に遭いずらくなる。銃所持が合法な国では銃犯罪の被害に遭いやすくなる。

虐待犯罪者を減らすか、猫を減らすかの二択になるが、「加害者より被害者/被害者予備軍の存在の発生を抑圧し減らすべきだ」という発想は社会改善への根本的努力の放棄、アイデンティティ化した無気力、無能、病的な消極性の産物であり、潜在的に邪悪の絶対的優位性を追認し、その支配権に進んで隷属する共犯的態度だ。

 

4.犯罪を作り出すのは猫ではなく、犯罪者と犯罪の権利を支持するお前のような人間。

 

5.因果関係が逆。給餌が虐待犯罪者を招くのではなく、潜在的虐待犯罪者が合法的に猫を抹殺するための手口が「餌やり禁止強要」。給餌が虐待を招くのではなく、虐待への意欲が給餌禁止を作り出した。

 

6.餌やり禁止を強要する陰険な攻撃性と支配欲の蔓延は国中に人間の腐敗と荒廃を招く。

 

 

「猫が増えると虐待犯罪の被害に遭う

 

1.犯罪を減らすためなら何をしてもいいのか

 

あるか、ないかではない。多いか、少ないか、増やすか、減らすか。

いかなる努力があっても、現実に犯罪を「減らす」ことはできても犯罪を「なくす」ことはできない。

犯罪被害者を「なくし」たければ人類を滅亡させるしかない。そして一部の人類は動物犯罪を「なくす」ために動物を滅亡させようとしている。

「あるか、ないか」の「0か1か」という現代を汚染する誤った強烈なドグマは人類の脳に巣食う癌細胞のようなものだ。

 

 

2.犯罪を作り出すのは被害者ではなく、加害者。被害者は加害者を殺さないが、加害者は被害者を殺す。

被害者に負担を強いる者は加害者に代わって被害者を攻撃している。

 

 

「猫に餌をやると猫を捨てる人が増える」

 

1.因果関係が逆。猫を捨てる人間がいるから、猫にメシを挙げて生命を救っている。

猫が利己的な人間に遺棄されて生命の危機に晒されているのなら、利他心のある人間がエサをやりをして猫の生命を助けることで補償し、是正するのが倫理的で適切。

 

憶測と妄想でしかない。あるか、ないかではない。多いか、少ないか、増やすか、減らすか。

いかなる努力があっても、現実に犯罪を「減らす」ことはできても犯罪を「なくす」ことはできない。

犯罪被害者を「なくし」たければ人類を滅亡させるしかない。そして一部の人類は動物犯罪を「なくす」ために動物を滅亡させようとしている。

「あるか、ないか」の「0か1か」という現代を汚染する誤った強烈なドグマは人類の脳に巣食う癌細胞のようなものだ。

 

2.飼育猫の遺棄を減らしたければ、詭弁で市民に責任転嫁するのではなく、動物遺棄を厳罰化する法律を定めればよい。

 

3.お前のように憶測と妄想で猫を餓死で殺害しようとする人間の言いなりになると、憶測と妄想で猫を餓死で殺害しようとする人間がさらに増える。

 

4.猫を餓死させて殺害しようとする人間は猫を捨てる人間の同類だ

 

5.例えば?なお、例外は例外でしかなく一般化する必要がない。

 

 

 「野生動物は餌をもらわないのが自然な姿だ。給餌は動物の自然な姿を阻害する」

 

1人工の都市化や森林縮小のせいで動物が飢えたり、餓死するのは自然な姿ではない。人間の仕業だ。

人間が作り出した損害は人間が補わなければならない。

 

2.人間含む全ての生物は太陽から光を与えられ、雲から水を、植物から酸素を与えられている。何かを与え、何かを与えられることこそ自然本来の姿だ。

 

 

 

 

 「野生動物に給餌するとたぶん自立して生きられなくなる」

 

1.人間の都市化や森林破壊のせいで動物が自立で生きられなくなったから人間が給餌する必要がある

 

2.餓死すると、自力でも他力でも生きられなくなる。

 

3.猫も犬も野生化する。「給餌は野生動物から野生の本能や生存能力を奪う」という主張は憶測や妄想に基づいている。

 

4.野生動物の生存能力を憶測で過小評価して、動物が餓死して絶滅したら取返しがつかない。

 

 

 

  「給餌するなら猫を飼え」

 

 

1.お前に命令する権利はない

 

2.強欲で下品な日本の不動産屋はペット禁止にしているアパートがほとんどなので、動物好きは野良猫に餌をあげるしか猫と触れ合う機会はない。

 

3.猫を操作や支配の対象にするために給餌しているのではない。野良も猫が選択したライフスタイルである。猫の意思を尊重し、生活を支え、自由と幸福を守るために給餌しなければならない。

 

 

  猫が生ゴミを漁る」

 

 1.・生ゴミを漁ることで換算できる具体的損害とはいくらか?誰にいかなる損害が生じるか?1000円のために猫から生命・自由・本能・幸福を一生剥奪してはいけない。

 

2.漁るだけなら問題はない。漁るか、漁らないかの0か1の二項対立にすり替えている。重要なのは漁る頻度が多いか、少ないかの量の問題である。たまにしか漁らないなら無視すればよい。お前が黙っていれば丸く収まる話だ。余計で不必要な対立、分断、混乱を引き起こすな。

 

3.自分のわずかな負担を軽減するために相手に生涯監禁や死という過大な負担を要求している。

 

4.猫がゴミを漁っているのなら、餌やりの禁止のせいで猫が飢えて近辺のゴミを漁るほどの窮地に追い込まれたのである。この状況を作り出しているのは猫ではなく餌やり禁止である。

 

 

  「猫がフンをする」

 

 1.フンは土に還るし、猫は上から土をかける習性がある。

さらに地面で寝る人間がいるのでもない限りフンからの菌は体内に入らず衛生面の問題は発生しない。

 

2.フンがあるか、ないかの0か1の二項対立ではなく、フンが多いか少ないかの量の問題で考えなくてはならい。致命的損害を引き起こすほど毎日大量にフンをする猫などないない。たまにしかフンをしないなら無視すればよい。お前が黙っていれば丸く収まる話だ。余計で不必要な対立、分断、混乱を引き起こすな。

 

3.自分の些細な気分、憶測で猫のかけがえのない生命を死に追いやってはならない。

 

 

  「猫が増える」

 

1.猫が減るより、増えるほうがメリットが上回る。

公園で増えたなら憩いの場としての性格は強くなり、ほのぼの人気スポットになる。

猫が増えることで起こる対立・分断・混乱は全て猫嫌いの人間が作り出している。

 

2人間が増えて、猫の個体数の水準が低いから、猫が増えているように見えるだけだ。

猫は人間のせいで現在進行形で滅ぼされようとしている。

 

 

  「洗濯物や屋根にフンがかかるから鳩に餌をやるな」

 

鳩は何千年も前からいる。鳩に餌をあげる人間も何千年も前からいる。なぜ今になって騒ぐのか?

動物や自然などの有史以前から続く当然予測できる現象を想定して住宅や都市を設計しない人間に問題と責任がある。

歩道の真ん中に小屋を建てて歩行者が邪魔だと主張するようなものだ。

鳩にダメージを受けるようなものを作ったり設置する側に問題がある。この状況はお前が勝手に作り出したものだ。お前に責任と問題がある。

最近できた人工現象は昔からの半自然現象に優先しない。昔からの半自然現象、環境耐性を前提にしないで製造した人工現象自体が設計ミスでしかない。水道水で溶けるコップを製造して水質に文句をつけるようなものだ。