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・霊的下層階級にとって正義とは霊的上流階級の独占概念である。霊的下層階級は正義を唱える霊的上流階級を霊的ダーウィニズム、霊的優生学に基づき、霊的低身長、霊的筋力の乏しい霊的下層階級を霊的T4作戦によって抹殺しようとする霊的・物理的ナチスと見なしている。

日本国内で虚無教徒と足並みをそろえて、価値相対主義への強い同調をほのめかし、絶対と正義の概念への攻撃が習慣化しているキリスト教虚無派、虚無教キリスト派は自らのイデオロギーを霊的・物理的ナチスに対する抵抗運動であると自負し、霊的上流階級の独占概念である絶対と正義の概念に対する内外からの汚染を正当化し、霊的覇権を覆し、霊的下層階級が主体となった霊的共産主義の確立を目指そうとしている。

日本国内のキリスト教虚無派、虚無教キリスト派は予定説を前提にした霊的資本主義・霊的能力主義、霊的自己責任論に虐げられた霊的下層階級がジョーカー化したものである。アメリカの学校ヒエラルキーに例えると、裕福な父親に愛情と庇護を受けて育った生まれつき霊的運動能力の高い霊的ジョックス(霊的アメフト野郎)は自然と善行を行うものだが、霊的上流階級が自分たちの水準を生まれつきの霊的運動音痴に押し付けることで、霊的運動音痴である霊的ナード(霊的根暗)は霊的筋肉、霊的骨格そのものをさらに忌避し憎悪するようになる。

現代では正義と絶対性の概念は霊的高水準に達しない者への霊種差別を示唆し霊的多様性を否定する霊的差別用語と見なされている。

霊的五体不満足な霊的障害者に霊的スポーツの霊的楽しさや霊的効能、霊的運動不足が招く霊的習慣病のリスクを説くこと自体が無自覚な霊的差別だと批判する誤った過激な霊的ポリティカル・コレクトレスが絶対性と正義についての霊的萎縮効果を招き、絶対性と正義に対する攻撃性を増進させている。

 

霊的身体能力・霊的IQ・霊的身長・霊的骨格は生まれる前から与えられた運である。多くの霊的上流階級は霊的社会福祉によって自らが受けた恩恵を霊的下層階級に還元し、霊的公平を目指すためにつねに努力しているが、怠惰や無策や失敗の結果として霊的下層階級の霊的ヒエラルキーへの不満が吹き溜まり、一部の過激な霊的下層階級は霊的上流階級を自分たちを霊的霊的ガス室に送り霊的絶滅を計画する霊的・物理的ナチであると信じ、霊的・物理的ナチが用いる絶対と正義という概念の有害性をしきりに喧伝している。

霊的生活保護、霊的ベーシックインカム、霊的フードバンクで暮らす霊的下層階級に霊的スティーブ・ジョブスの伝記本を渡すのは、悪質な皮肉や嫌がらせと受け取られても仕方がない。多くの霊的下層階級は霊的障害、霊的寝たきり、霊的無職への強い信念から霊的生活保護を受給しているが、この中からまれに霊的強盗、霊的共産主義に転じる者が出現する。彼らは霊的上流階級の霊的下層階級に対する霊的社会福祉の可能性を完全に否定し、霊的共産主義運動あるいは霊的テロによって霊的資本主義・霊的能力主義体制の破壊を試みている

 

 

・キリスト教虚無派、虚無教キリスト派、キリスト教カオス派、カオス教キリスト派は国家神道に代わって現代の日本を支配している虚無教/カオス教の文脈の中でキリスト教精神を整合させる挑戦に熱中している。彼らは霊的弱者に寄り添っているように見せかけて、霊的優劣そのものへの怨恨を発散するために、霊的弱者が霊的強者になろうとする霊的向上心と霊的努力を放棄させ、霊的弱者であること自体を絶対的価値に設定する攻撃手段を用いて、霊的価値転覆を図っている。キリスト教不可知論者は「人間は完全に神を理解できない。神についてのあらゆる理解は傲慢であるので、全て放棄すべきである」云々で完全に理解できないのだから理解できる部分も理解すべきではないと不可知論に誘導している。伝統的なキリスト教的(とされている)禁欲主義が神と人間の関係性にまで禁欲と受動性を徹底させることでキリスト教不可知論を育み、神は自らの意志を人間の意志と感情を通して表現しないと説き、人間と神の分断をひたすら強調することで雲の化け物を拝んでいる。日本にいればグロテスクに強調されたキリスト教の終末的光景をいくらでも見ることができる。

 

・実際は人類に霊的上流階級など存在しない。人類は総じて霊的下層階級であり、本物の霊的上流階級であり先天的キリスト教徒のお毛もの(動物)との正しい関係性、お毛もの(動物)に献身し、お毛もの(動物)から許しを与えられることで人類は救済に与ることができる。

 

・ヨハネ(マグダラのマリア)福音書こそが最初に成立したキリストの死後数年以内に書かれた唯一の正典であり、後世に共観福音書を書いた奴ら、もしくはこれらの二次創作(ファン・フィクション)を正典化した奴らはたぶん地獄に落ちている。

他の10人の使徒が福音書を書き記さなかったのは上流階級出身で教養の高かったマグダラのマリアが書記の役割を一任していたからだ。

ヨハネ(マグダラのマリア)が投獄された洗礼者ヨハネのその後、ラザロとイエスがどのような交流を持っていたかなどの周辺の詳細情報を書き残さなかったのは、執筆当時は書き残すまでもない有名なニュースだったからであり熱狂的に広まっていた伝聞と口伝で補完できる部分を福音書内で書き残す必要がなかったからだ。

紀元前に人類が世界同時多発で陥った植物になることを志向する生物学的退行を教典化するために「ユダヤ人のブッダ」を創作した共観福音書こそが聖書全体から見て異質なのであり、旧約の神の性格と新約の神の性格は矛盾していない。

ブッダ教は旧約聖書の伝道の書からの剽窃であり、伝道の書に続く雅歌とイザヤ書の流れが示しているように

虚無とは神の到来を準備するプロセスであり、子宮のようなものでしかないことを聖書は示している。

中世に始まったヴァイキングの襲来は共観福音書に対する神の罰であり、共観福音書がもたらした病弊によって衰微したキリスト教ギリシア・ローマ世界にさらなるゲルマン化を加速させて軌道修正させるための神の計画だった。

ギリシア・ローマ圏から成熟を待たずして地理的に遠ざかったロシアが無様にもモンゴロイドの餌食になった歴史は共観福音書が導いた人類の荒廃を先取りした凄惨な縮図である。

多くの人間が薄々気付いていながら頑なに目を背けているが、ヨハネ福音書の21章18でイエス・キリストはペテロの権威を利用した教会(カトリック、正教会、聖公会、プロテスタント)の腐敗を予言している。

教会とは「誰かが、老いて両手を伸ばしたペテロに帯をして連れて行った望まないところ」であり、教会の堕落と腐敗すら、神がペテロの聖性を高めるために与えた養分である。

これに続く21章19の(イエスは、ペテロがどのような死に方で神の栄光を現すかを示すために、こう言われたのである。)は教会についての予言であることをに気づいた後世の偽信徒が危機感に駆られて付け加えた部分であり、この悪質な加筆によって最初にして唯一の正典であるヨハネ福音書がペテロの死後に成立したという誤解が後世に定着してしまった。

ある者達は多額の製作費をかけて、ある者は廃人になるなどして多大な犠牲と生命をかけて共観福音書という偽典に反論してきた。

 

 

 

・神はこの宇宙では、資金が枯渇した情報機関であり、乏しい装備しか持ち合わせていないゲリラであり、武装した悪党数百人に取り囲まれた一人の戦士であり、無実の罪で投獄され日夜脱獄を試みている囚人であり、虐待されている動物である。神は状況によっては有能ではあるが、全能ではない。

イエス・キリストは自らの死によって神がこの宇宙で陥っている不利で悲惨な有様を現したのであり、人類の罪を背負って死刑になったのではない。

 

・反プーチン活動家のアレクセイ・ナワリヌイが毒を盛られて航空機内で呻き声を上げている映像を見たが、虐待された羊かウシ科の動物の苦痛の呻き声のようだ。旧約時代の古代イスラエル人が原始宗教から始まった悪魔に捧げる生贄の儀式を神の名を使って踏襲して羊を大量殺戮したから人類はその報いを受けているのではないのか。

かわいいお毛もの(動物)達と嬉しそうに一緒にいるお毛もの好きのプーチンの画像を見る限り、プーチンをどうしても嫌いになれない。本当はいい奴のはずなんだが。

 

 ・クリスチャンを「キリスト教徒」などと訳すべきではない。「キリスト者」もよいが、もっと適切な表現は「キリストマン」だろう。

 

・予定説が真実か、否かは知らないが、神の名をメシの種にしている時点でその者は神から見捨てられている。神の名を使って稼いだカネ、それがその人間の全てだ。だから神は神の名をほとんど用いずに神を表現する優れた映画、音楽、文学、哲学を祝福し教会に代わる力を与えている。

そして、かつての教会と同じように、「オタク」と呼ばれる腐臭漂う敗残者の群れを生み出し、堕落と栄光がせめぎあったあげく、克服されるのを待つだけの存在に成り下がろうとしている。

 

 

・カスはやること、考えること全てがカスだ。カスが今はまともに見えても、カスが光を養分にしてさらにでかいカスに成長するためのプロセスでしかない。それはそのカスが生まれる前からカスであることを決定されているからだ。カスは信じても信じることができない。信じれば信じるほど信じる前よりも悪い状態になる。信じることすら悪の成長に奉仕するように作られている。

「信じないで悪い状態のままより、信じてもっと悪くなった方がいい」という欲望が奴らの信仰心の源だ。

愛以外は全て攻撃だ。カスに福音が与えられたのはカスが生来の性格に従って物理的レイプ・殺しに至って実害を起こさないように観念的レイプ・殺しに押し留めるための装置が必要だったからだ。

 

 

「ヤバい神: 不都合な記事による旧約聖書入門」の書籍レビュー

この書籍は2022年3月25日に発売されたが、発売から約二年後の2024年2月24日にブクログという書籍レビューサイトに投稿された「神は理解不能」「人間には神は解釈できない」「神に分かりやすい物語や道徳を付与した事物は虚構」といった内容のレビューが投稿から10日もしない内に「いいね」数が42もついてトップレビューになっている。

https://booklog.jp/item/1/4400119084

この書籍に投稿されたレビューは発売から約二年間で全10件だが、全10件中、いいね数14のレビューが1件、いいね数1のレビューが2件、いいね数0のレビューが6件。このレビューだけ投稿から10日もしない内に「いいね」数が42もついている。何かの組織的工作か?