正しい人は、自分の家畜の生命を知っている。 悪しき者は、そのあわれみさえ残忍である。
旧約聖書 箴言 12:10
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猫の避妊・去勢手術(強制断種)徹底は消極的殺処分
猫の「避妊・去勢手術」は、強制断種によって猫を数世代で猫を絶滅させる消極的殺処分である。
大量殺戮を実行する政府が提案する「猫を滅ぼす」課題の下で民間人が、ガスや薬物による積極的殺処分に代わって、断種・監禁・餌やり禁止による餓死などの手段による消極的殺処分を推進しているだけだ。
政府が執着している「猫絶滅施策」を疑問視することを、日本人はタブー視し、自称動物保護活動家は政府の絶滅方針を微調整する役割を果たすことで自分たちの存在価値を示そうとする。
動物保護を装った狂信的な断種カルトは猫の体を引き裂くために街の至る所で徘徊している。奴らにとって猫は保護対象ではなく、闘争相手である。生命への憎しみ、自由への憎しみ、野性への憎しみに駆り立てられ、猫を絶滅させることに喜びや勝利の達成感を見出す性悪で病んだ連中だ。
生命機能の抹殺に執着する憎悪に満ちた断種政策と猫の妊娠そのものを敵視するヒステリーに陥ったゾンビ共(自称愛護団体・自称活動家・自称専門家)は「街にいる猫を全て断種すれば猫は100年以内に絶滅する」という懸念を完全に無視し、
猫が何匹いれば受容するのか、何匹いれば異常の烙印を押すのか判断基準すら設けず、断種に加えて室内への監禁をアナウンスし、消極的殺処分の様々な形のプロパガンダやキャンペーンを展開することで提案を実質強制化しようととしている。
皮肉なことに猫を滅ぼそうとする邪悪な人間が猫の個体数を減らしたことで、猫の出産の普遍的価値と必要性は歴史上類をみないほど高まっている。
麻酔をしていても猫の体を傷つけていることに変わりはない
断種は医療行為という仮装を施した動物虐待であり、動物虐待を洗練し合理化、システム化したものである。
重傷や病気などの生命に関わる緊急時以外の理由で猫の体にメスを入れることは、医療的手段を用いた動物虐待である。
手術は猫の生命の回復と維持を目的にしているからこそ、正当化されるが、人間都合で猫の生命機能を剝奪する断種に正当性は一切ない。
動物の生殖行為を病気の一種と見なし医療行為に器官切除を正当化するなら、その人間こそが病気である。
動物権利を確立していない現代では、動物の生殺与奪が「ぬいぐるみに対する愛着」といったレベルのモノに対する感傷や、個人の漠然としたフェティシズムに委ねられている限りあらゆる動物虐待が正当化される。
衛生リスクが少しでもあるなら猫の体の一部を切除していいとう主張がまかりとおるなら、猫の足を手術で切断してもいいことになる。
猫をぬいぐるみと見なす飼い主の都合によって、「猫の爪から家具を守る」、「猫を喧嘩の傷から守る」ためという理屈で、猫の爪切除手術が違法とされることなく平然と行われている。
「野良猫として生まれてくる不幸な猫を減らすため」と奴らは強制断種を正当化するが、断種され子孫を残せないことはもっと不幸だ。
低劣な破壊本能を温存したまま、末期的なニヒリズムに陥った平均的な人間達が、「生まれてくること自体が不幸であり、生命など最初から存在しないほうがいい」という自分の卑小な価値観と歪んだ精神性を様々なプロパガンダを用いて普遍化する。
これは本来絶滅すべきだった生物学上のカス共が、猫や犬をスケープゴートにして滅ぼすことで、自らが絶滅の運命を免れようとする退廃人種の儀式なのである。
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