「常識でしょ」厨、「迷惑」念仏クレーマーに効く反論フレーズ
まず主語を排する受動態(通俗的日本語)で構成された思考回路を廃すること。
現代の日本では至る所で、虚無を具現化した貪欲な怪物共が、無を至上視する信念を暗黙の内に抱えてしまっている多くの人々の未熟な善の観念と薄弱な権利意識という脆弱性を狙って、執拗に攻撃している。
無が”存在している”時点で無にもエゴと欲望がある。
0は無を信仰する古代インドが作り出した概念であり、ギリシア数字には0はない。
0とは本物の1から生じた偽1、1ベータ、劣化版1でしかない。オリジナルの1は無数に生成される偽物の1に対して主権と所有権を持ち、生殺与奪の権利を持っている。
迷惑厨「そんなにたくましい体してたらまず俺のち〇こなめるわな。常識でしょ」
迷惑厨「そんなにたくましい体してたら俺がムラムラして迷惑だろ!俺のち〇こなめろ」
撃退フレーズ
「お前に~する権利はない」
「失礼だぞ」
「こんなこと言ってるのはお前だけだ」
「他人に命令して気持ちがいいか?」
「お前が黙っていれば丸く済む話なんだよ。下らんことに執着するな」
「常識は他人を攻撃したり、服従させるするための武器ではない。他者を攻撃し、自分の言いなりにするために、常識を悪用する人間ほど非常識で、醜悪で、幼稚で、不道徳なものはない。」
「お前は”迷惑”を、他人を服従させたり、攻撃するためだけの道具にしている」
「”迷惑”という根拠のない曖昧な概念を使って他人を服従させようとする人間ほど邪悪なものはない」
「こんなこと言ってるのはお前だけだ」
「くだらんことで他人に命令したり、攻撃することは失礼で、傲慢で、幼稚で恥知らずな行為であることをみんな知ってるから言わない」
「くだらんことで他人に命令しないのも常識だ」
「必死で常識押し付けてキレてるお前が常識知らずで恥知らずなんだが」
低い沸点、低い受忍限度は器の小ささの証明であることは常識。
「お前に命令する権利はない」
「私には~の権利がある」ではなく、「お前には~の権利はない」で反論する。
日本人は権利そのものを西欧からの外来思想であると敵視しているので、権利を主張する者を「わがまま」「協調性がない」と攻撃したがる。
「お前に~する権利はない。何の権利があってこんなことをするのか言ってみろ」「お前に要求/命令/強要する権利はない」と権利意識が肥大しているのはお前の方だと指摘すると日本人は意表を突かれるらしい。
「失礼だぞ」
他者への礼儀と人間の尊厳あってこそのマナーと常識。
迷惑や常識などの同調圧力を背景に強引に自分の命令に従わせようとする相手にどちらが常識がないのか自覚させる。ただし先に失礼を指摘されると中々厳しい。
「他人に対して無礼で攻撃的に振る舞うお前が迷惑で常識知らずだろうが」
「他人に失礼な態度とっていいと思ってるのか」
「礼儀を知らん土人か、お前は」
「お前は人間として最低限のルールも守れんカスだろうが」
「年上の人間に向かって随分失礼な態度を取るね」
「女性に向かって随分失礼な態度を取るね」
「市民に向かって随分失礼な態度を取るね」
「初対面の人間に向かって随分失礼な態度を取るね」
「どんな事情があってもそんな失礼な態度をとっていい理由にはならない」
「子どもじゃないんだから敬語くらい使いましょうよ」
「それが人にものをお願いする態度か、お前」
「気に入らんことがあっても一々口に出さんのが大人だ」
と相手の人間性や礼節を追求して、念仏化した「迷惑」や「常識」についての思考と正しい再定義を迫ろう。
「いや、こんなことやってる/言ってるのはお前だけなんだが」
常識でしょ厨に対しては相手の特異な態度を強調して少数派であることを自覚させる。
クレーマー自身が少数派であること、クレーマーの執着、我欲、加害性を自覚させる。
「こんなことで必死になってるのはお前だけだなんだが」
「こんな要求をしてきたのはお前だけだ」
「こんなこと言ってきたのはお前だけだ」
「こんなことやってる奴は初めて見たよ」
「こんな失礼な態度で命令してくるのはお前だけだ」
「たかが電車内の携帯電話通話ごときで怒鳴ってきたのはお前だけだ」
「気に入らないことがあっても一々態度に出さないのが大人だろう。こんなことやってるのはお前だけだ」
立場の違いを強調
「お前の常識は私の常識ではない」
「そこの常識はここでは通用しない」
「管理者の常識は使用者の常識ではない」
「クレーマーの常識は一般人の常識ではない」
「役所の常識は市民の常識ではない」
「そんな古い常識は今では通用しない」
「新しい常識より古い常識を優先すべきだ」
「善意より常識を優先する奴ほど非常識なものはない」
その他
「義務を果たさず権利を主張するな」
権利を奪って義務だけ押し付けるな。
「日本が嫌なら日本から出て行け」
そんな傲慢な発言する奴は日本人ではない。
エゴなし自慢、エゴを標的にする仏教圏の妖怪に対しては他者に攻撃的な態度で先制攻撃する側のエゴを特定し追求
エゴのないものが善で、エゴのあるものが悪という観念は世界共通だが、日本人が用いる「エゴ」という否定的な概念はわがまま、利己主義、独裁的といった具体的なニュアンスを持たず、自我、主体性、個性、さらには物体が個体であるという事実までも過度に包摂し、病的な個体破壊願望を実現するためのラベルとして使用している。
「一々攻撃的な態度で他人を否定するお前こそエゴが肥大した傲慢な人間だ」
で反論しよう。
常識は手段や道具であり、それだけで無条件に善になることはありえない。良い常識と悪い常識がある。まともな常識と狂った常識がある。
良い人間が良い目的のために使うルールは良いルールになる。悪い人間が悪い目的のために使うルールは悪いルールになる。馬鹿な人間が馬鹿な目的のために使うルールは馬鹿なルールになる。
個性、自我を否定する者には個性、自我を敵視する個性、自我がある。
協調性を唱える者には協調性を求める自我、欲がある。
「何も信じない」ことは「何も信じない」ことを信じている。
「何ものにも執着しない」ことは「何ものにも執着しない」ことに執着している。
「何もしない」ことは「何もしないこと」をしている。
「やる気がない」ことは「やる気がない」ことにやる気がある。
「何もない」は「何もない」がある。
「何もない」があるのに、なぜ「全てある」がないなどと言えるのか。
科学は万能ではない。宇宙規模で見れば科学は無能。科学は神の存在を証明することができないが、神の存在を否定することもできない。
科学は神と同じくらい人間を殺している。現時点では神以上に人間を殺している。
車によって人間の生活は豊かになったが、車によって多くの人間が死んでいる。
いるか、いないかわからないものを「いない」と信じるのは、いるか、いないかわからないものを「いる」と信じる宗教と同じ。さらに本物の神を信じているか、偽物の神を信じているかで勝敗がふるい分けられる。
これは最悪のギャンブルである。この賭けで負けることで受けるダメージは「いない」と信じる者が最も大きい。
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