人工を拝む理性カルト、非存在欲にまみれた冷笑カルト
18世紀のカルトイベント「理性の祭典」
理性の祭典とは、フランス革命期の1793年11月10日以降、フランス共和国のパリのノートルダム大聖堂を中心にフランス全土で開催された祭典。 ジャコバン派独裁のなか、同派のなかでジャック・ルネ・エベールを中心とするグループ(エベール派)の主導でおこなわれ、きわめて無神論的性格の強いものであった。
最高存在の祭典とは、フランス革命期、マクシミリアン・ロベスピエールの独裁政権下のフランス共和国で、1794年5月7日の法令に基づいて6月8日にテュイルリー宮殿およびシャン・ド・マルス公園で行われた宗教祭典。
フランス革命期における非キリスト教化運動(wikipedia)
1793年から1794年にかけてのこの運動が目標としたのは、フランスにおいてカトリック教会が保有していた大量の土地、権力、財産の公的な接収であり、キリスト教的なさまざまな習俗および宗教としてのカトリックそのものの解消であった。
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ナポレオンの侵略によって植え付けられたヨーロッパの民主主義はロシア革命と同様のキリスト教破壊、聖職者殺戮を起源にしている。(一応は)キリスト信仰に基づいて民主主義革命を成功させたイギリスとアメリカが超大国になり文化や経済の才能が集中しているのは偶然ではない。
リンカーンのゲティスバーグ演説の「この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために」とあるように、(一応は)本物の神に導かれない革命は本物の革命ではない。
至る所で虚無チ〇ポをしごく自分の姿を見せびらかす冷笑カルトの原動力である非存在欲とは?
「存在したくない欲(非存在欲)」とは何? https://online.samgha-shinsha.jp/contents/e5b11efc06b5
また当時、インドには虚無主義(Nihilistic)の人々がいました。これは唯物論者ではありません。 虚無主義とは、どんなことも否定するという考え・思想です。何も認めません。 認める気にもならない。全てを批判し、自分が認めるものは一切無い。 例えば誰かが「あなたの教えでは何を認め、推薦するのですか?」と尋ねると、その質問さえも違うと批判するのです。 あるいは「あなたは虚無主義でしょう」と言ったら、自分の教えさえも認めないで否定するのです。 虚無主義は馬鹿げた考えです。しかし、そのような教えを持っている人々の欲をどのように説明すればよいでしょうか? 虚無主義であっても生きているのです。もし全てを認めず否定するのなら、すぐにでも死んでしまえばよいのですが、 そういうわけにもいきません。何一つも認めず否定し続けながら生きている。それは「気に入らない」「認めない」ということがエネルギーになって生きているのです。 その虚無主義で、存在を否定することで生きているという欲に対して「非存在欲」という説明もできます。
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