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バイブルで優先して読むべき書巻と順序

1.フラウィウス・ヨセフス著「ユダヤ古代誌」

2.詩編

3.伝道者の書

4.雅歌

5.イザヤ書

6.ヨハネ(マグダラのマリア)の福音書  ※8章1‐11と21章25は後世の偽の著者が加筆した箇所であるので注意

7.使徒の働き

8.ヨハネ(マグダラのマリア)の手紙

9.ヨハネ(マグダラのマリア)の黙示録

※新約聖書が指す「兄弟」とは全人類ではなく「キリストに選ばれた者同士」を意味する

 

補遺 パウロの手紙
1.ローマの信徒への手紙
2.コリントの信徒への手紙
3.ガラテヤの信徒への手紙
4.エフェソの信徒への手紙
5.フィリピの信徒への手紙
6.コロサイの信徒への手紙
7.テサロニケの信徒への手紙
8.テモテへの手紙
9.テトスへの手紙
10.フィレモンへの手紙

 


もしくは

1.サムエル記

2.列王記

3.ヨハネ福音書

ヨハネ(マグダラのマリア)の福音書と共観福音書の比較

 

 

マタイ、マルコ、ルカの共観福音書はイエス・キリストの死後数十年後に、植物人間になるためのニヒリズム的テーマを共有していた精神的、肉体的敗残者の群れが神の子の出現と死と復活という歴史的事件を基に、文脈をはぎ取ったパウロの教えを継ぎはぎして創作したフィクションである。

イエス・キリストを直接知る12使徒の一人であるマグダラのマリア/「イエスの胸によりかかっていたイエスの愛しておられた弟子」が男性を装って記したヨハネ福音書こそがキリストの死後数年以内に書かれた最も詳細な第一資料であり唯一の正典である。 女性が書いたものに信用価値を認めない西暦1世紀の世界では男性を装う必要があった。後世に共観福音書を書いた奴ら、もしくはこれらの二次創作(ファン・フィクション)を正典化した奴らはたぶん地獄に落ちている。

 

唯一の正典であるヨハネ福音書は、偽典である共観福音書の欠落部分を補完するために書かれたものではない。

他の10人の使徒が福音書を書き記さなかったのは上流階級出身で教養の高かったマグダラのマリアが書記の役割を一任していたからだ。

ヨハネ(マグダラのマリア)が洗礼者ヨハネ、ラザロとイエスがどのような交流を持っていたかなどの周辺の詳細情報を書き残さなかったのは、執筆当時は伝聞と口伝で補完できる有名なニュースを福音書内で書き残す必要がなかったからだ。

 

ヨハネ福音書でイエス・キリスト自身が引用した旧約聖書の書巻は詩篇とイザヤ書であり、イエス・キリストは自分が選んだ者達に神の愛ではなく、「愛の神」という偶像、神の平和ではなく、「平和の神」という偶像を拝むこと求めていない。

紀元前に人類が世界同時多発で陥った植物化を志向する生物学的退行を教典化するために「ユダヤ人のブッダ」を捏造した共観福音書こそが聖書全体から見て異質なのであり、旧約の神の性格と新約の神の性格は矛盾していない。

ブッダ教は旧約聖書の伝道の書からの剽窃であり、伝道の書に続く雅歌とイザヤ書の流れが示しているように

虚無とは神の到来を準備する、子宮のようなプロセスでしかないことを聖書は示している。

 

 

 

「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです」(マタイの福音書 7 章1-2)

 

 

「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。」(ルカの福音書 6章37)

 

ヨハネの福音書でイエス・キリストは言っていない。

 

「うわべだけで裁くのをやめ、正しい裁きをしなさい。 」 (ヨハネによる福音書 7章10-24)

 

ヨハネの福音書8章1‐11「姦淫の女」の節は偽の著者による後世の加筆である。

  

 

「しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」(マタイによる福音書 5章 39)

 

ヨハネの福音書でイエス・キリストはこんなことは言っていない。ヨハネの福音書ではキリストは実際に顔を打たれているが片方の頬を向けずにこう反論している。

 

イエスがこう言われると、そばにいた下役の一人が、「大祭司に向かって、そんな返事のしかたがあるか」と言って、イエスを平手で打った。イエスは答えられた。「何か悪いことをわたしが言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか。」 (ヨハネによる福音書 18章 22-23) 

 

パウロ

初代神学者の一人であるパウロは、アウグスティヌス、アクィナス、カルヴァンと同様に聖人の一人でもあるが使徒ではない。パウロがヨハネ福音書を元に著しい拡大解釈で教説を展開したのは明らかであり、手紙の一字一句を絶対化して神格化すべきではない。例えるなら大企業の個性的な3代目CEOが創業者についての成功法則、ビジネス流儀を解説したビジネス指南書を書いたとしたら、イエスを語ったパウロの手紙のようになるかもしれない。

ただしイエスが言ってもいないことを大量に教義化したパウロの人格とキリスト理解の正確性に疑問を持たざる得ない。共観福音書の偽イエスがパウロの強い影響下と容認の元で創作されたのだとしたらパウロが本当に神に選ばれた者であったのか疑わしい。

 

 

教会

多くの人間が薄々気付いていながら頑なに目を背けているが、ヨハネ福音書の21章18でイエス・キリストはペテロの権威を悪用して教会という偶像を拝む「教会教」というカルト宗教(カトリック、正教会、聖公会、プロテスタント)の台頭を予言している。教会とは「誰かが、老いて両手を伸ばしたペテロに帯をして連れて行った望まないところ」であり、教会の堕落と腐敗すら、神がペテロの聖性を高めるために与えた養分である。

これに続く21章19の(イエスは、ペテロがどのような死に方で神の栄光を現すかを示すために、こう言われたのである。)は教会についての予言であることをに気づいた後世の偽信徒が危機感に駆られて付け加えた部分であり、この悪質な加筆によって最初にして唯一の正典であるヨハネ福音書がペテロの死後に成立したという誤解が後世に定着してしまった。

中世に始まったヴァイキングの襲来は共観福音書に対する神の罰であり、共観福音書がもたらした病弊で衰微したキリスト教ギリシア・ローマ世界にさらなるゲルマン化を加速させて軌道修正させるための神の計画だった。ギリシア・ローマ圏から成熟を待たずして地理的に遠ざかったロシアが無様にもモンゴロイドの餌食になった歴史は共観福音書が導いた人類の荒廃を先取りした凄惨な縮図である。

現代でも神は共観福音書の退廃と病の迷信から目を覚まそうとしない人類に対して、焦土と荒廃から新たな再生をもたらすために、ダークなマグダラのマリアであるアイン・ランドにヴァイキング的な役割を与えて人類を罰し続けている。

 

 

イエスの母マリア

イエスの母の名前はマリアではない。ヨハネ福音書ではイエスの母の名前を記していない。イエスの母の姉妹(クロパの妻)がマリアという名前なので姉妹揃って同じ名前を持つのはありえない。イエス自身がヨハネ福音書第二章で言うにはイエスの母とは「私と何の関わりもない女の方」。

聖母マリアが出現する超常現象が世界各国で報告されているらしいが、UFOと同様に地球中心部のブラックホールと人間の無意識が呼応したことで地上に生成されたホログラム現象だろう。

 

 

Relationship between Jesus Christ and Mary Magdalene

Bible Song of Songs 5:1  “I have come into my garden, my sister, my bride”

The relationship between Jesus Christ and Mary Magdalene was that of brother and sister, not a romantic relationship. If sexual union is achieved, it would be incest. In Revelation, the bride is replaced by a community of faith.God also required Mary Magdalene to undergo a severe trial of self-sacrifice.

The flood of incestuous content in Japanese anime and light novels depicting “younger sisters” in a sexually curious light has alarmed us.

 

 

 

ある者達は多額の製作費をかけて、ある者は廃人になるなどして多大な犠牲と生命をかけて共観福音書という偽典に反論してきた。人類の真実に対する本能的感受性の力強さには驚嘆すべき面がある。

「キリスト教徒」であることの定義が共観福音書を信じることであるのなら私は「キリスト教徒」ではない。いわゆる「キリスト教徒」が信じている神の概念と私が信じる神の概念は大きく異なるので基本的に奴らとは何の関係もない。

 

 

 

 

 

猫を攻撃する勢力はアンチ・キリスト

猫は人間の道徳を監視するために神が遣わした聖なるお毛もの(動物)である。

家具もいらないし、服もいらない、シャワーを浴びる必要もなく、どこでも眠れるからいつでも旅することがができる猫は人類がお毛もの(動物)を通して愛と道徳を守っているか監視し、神に立ち返るための教育者となって今日も働いている。

 

キリストが自分に従う大衆や弟子達に魚を与えたのは、猫にメシをあげることが人類にとって至上の義務であることを強く示唆している。

キリスト教の最大教派であるカトリック/CatholicはCat(猫)とHolic(中毒)を合わせてCatholic(猫中毒)と呼ぶ。キリスト教美術で描かれるキリストや使徒の黄金の円い光背は光を反射した猫の瞳孔にそっくりだ。

猫を攻撃する勢力はアンチ・キリストであり、神を憎悪する異教的アイデンティティが動機になった破壊運動として、カトリック体制に政治的憎悪を持つ勢力のスケープゴートとして、偽善者達の潜在的な不信仰の残虐な具現化運動として、奴らは神の使者である猫を執拗に猫を狙っている。

 

脚を交差させる猫のV字の歩き方が女性の歩き方を連想させるという類似点だけで人類は誤って超男性的な猫に女性的象徴を押し付けてきた。超男性的な象徴である虎やライオンでも脚をV字に交差させて歩き、人間の男も基本的に脚をV字に交差させて歩く。本来、猫は超男性的存在であるが、声が高くて丸い存在というだけ、女性的な性的対象と見なす人類の汚れた欲望は猫に女性的象徴を押し付けようとしてきた。

 

超男性的存在であったイエス・キリストは処刑によって女性化した(女性的な存在を装った)。槍で突かれたキリストの脇腹の傷は男性に開発された女性器を示唆している。

ヨハネ(マグダラのマリア)の福音書で復活したキリストがマグダラのマリアに「わたしにすがりつくのはよしなさい。 まだ父のもとへ上っていないのだから。」と拒絶したのは、復活時点ではまだキリストは死によって女性化した存在であることを示唆している

人類を見守るために女性的象徴を押し付けられている超男性的な存在である猫は、処刑によって女性的象徴を押し付けられたイエス・キリストと最も強い類似性を持つ聖なるお毛もの(動物)なのだ。

 

本来は超男性的存在であるイエス・キリストが人類のために死/女性を装い、さらに復活したことはキリストが審判の時に、再び王として再臨することを約束している。女性を装った男性であるイエス・キリストとは対称的に、男性を装う女性であるヨハネ(マグダラのマリア)は全人類を象徴する。

 

 

サタンの居所

ダンテ「神曲」に登場する地獄の中心部に囚われたサタン

 

惑星の中心にある重力の源はブラックホールである。ブラックホールが老い、太り吸引力が弱まると核融合によって埋め立てられ惑星が誕生する。超新星爆発によってブラックホールが生まれるのではない。惑星が死ぬことで惑星の本当の姿が現れる。

 

ブラックホールの中心部にいるサタンと呼ばれる超男性的存在がブラックホールを回転させている。

超男性的存在であるサタンが女性的な存在であるブラックホールの発生源である、あるいはブラックホールの中心部に捕らわれブラックホールと同化した。サタンは自らの堕落ゆえにブラックホールに囚われた存在であり、主導権のほとんどをブラックホールに奪われている。

超男性的存在であった神の子イエス・キリストが人類のために死によって女性化し、超男性的存在となって再臨するように、超男性的存在であったサタンはブラックホールによって女性化し、あるいはブラックホールという女性と同化したことで、ブラックホールは地上に安売りされた男性的存在である悪魔の子を大量に産み出し、確固たる悪意を持って(主に邪悪のシンクロニシティという物理的手段を用いる)生命を攻撃している。

神を模造したサタンの性質は神と表裏一体であり、恐るべき権能を持つ虚偽の支配者となってこの宇宙を支配している。

 

 

キリスト信仰は多神教を吸収し合理化した


ジョン・デリンジャー(1903年 - 1934年)

ジェシー・ジェイムズ (1847年 - 1882年)


 

個人主義とは霊的情熱を源泉にしたキリスト教的世界観の実現であり、イエス・キリストへの信仰なくして本物の個人主義は成立できない。信仰・善・正義(行動)の絶対的成立要件を満たさずに成立した個人主義はほとんどの場合、悪霊の具現化である。

個人主義とは各個人が神々になる神話の実現であり、神々とはイエス・キリストを真に信仰しキリストと似た者になった神の子のことであり、唯一の神イエス・キリストから複製された神の子とは、オリジナルであるイエス・キリストのしもべでしかない。イエス・キリストは誰を神の子として自らに連ねるか選び、生殺与奪を制する絶対の権能を持つ。
 

 

ヨハネの福音書 15:1‐6 (聖書 新改訳2017)

 

わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫です。

わたしの枝で実を結ばないものはすべて、父がそれを取り除き、実を結ぶものはすべて、もっと多く実を結ぶように、刈り込みをなさいます。

あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、すでにきよいのです。

わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。

枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。

わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。

わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。

 

わたしにとどまっていなければ、その人は枝のように投げ捨てられて枯れます。人々がそれを集めて火に投げ込むので、燃えてしまいます。

 

 

ヨハネの福音書 13:16 (聖書 新改訳2017)

まことに、まことに、あなたがたに言います。しもべは主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりません。

 

 

ヨハネの福音書で神とイエス・キリストはギリシア人達が自分に引き寄せられたことを活動の重要な到達点であることを明言している

 

ヨハネの福音書 12:20-12:32 (聖書 新改訳2017)

 

さて、祭りで礼拝のために上って来た人々の中に、ギリシア人が何人かいた。

この人たちは、ガリラヤのベツサイダ出身のピリポのところに来て、「お願いします。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。

ピリポは行ってアンデレに話し、アンデレとピリポは行って、イエスに話した。

すると、イエスは彼らに答えられた。「人の子が栄光を受ける時が来ました。

まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。

自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者は、それを保って永遠のいのちに至ります。

わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいるところに、わたしに仕える者もいることになります。わたしに仕えるなら、父はその人を重んじてくださいます。」

「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ、この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや、このためにこそ、わたしはこの時に至ったのだ。父よ、御名の栄光を現してください。」

すると、天から声が聞こえた。「わたしはすでに栄光を現した。わたしは再び栄光を現そう。」

そばに立っていてそれを聞いた群衆は、「雷が鳴ったのだ」と言った。ほかの人々は、「御使いがあの方に話しかけたのだ」と言った。

イエスは答えられた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためです。

今、この世に対するさばきが行われ、今、この世を支配する者が追い出されます。

わたしが地上から上げられるとき、わたしはすべての人を自分のもとに引き寄せます。」

 

 

行動者としてのイエス・キリストを記したヨハネ福音書の文脈から考えると、キリストはギリシア哲学のハイジャックを意図していたのではない。ましてや神はギリシアの文明力を媒介したユダヤ教の世界宗教化のための布教戦術を天から祝福したのでもない。

 

イエス・キリストはしるしと自らの悲劇的な神話性を通してギリシア多神教の主神ゼウスを自らに置き換え、多神教的フォーマットを乗っ取った、というより自分のものを奪還した。

主であり長子であるイエス・キリストを頂点にして、イエス・キリストの意志とアイデンティティとストーリーを再現することを運命づけられた者達は信仰と善と正義によって、神の子(神々)として連なる特権が与えられる。

キリスト教によって「便所の神」、「貧乏の神」といったナンセンスな迷信を盲信する古代多神教は廃され、ギリシア神話の神々は聖人伝説へと置き換えられ、神への合一化は厳格な倫理的制約の下で、より現実的で人間性に満ちた実践となり、ルネサンス文化、プロテスタントがカトリックの権威主義の制約から解き放ったことで聖人になる特権は万人に開放され個人主義の理念へと結実した。

本当のキリスト信仰者をクリスチャン(キリスト教徒)と表現するのは適切ではない。最適な表現は「キリストマン」だろう。

 

 神はこの宇宙では、資金が枯渇した情報機関であり、乏しい装備しか持ち合わせていないゲリラであり、武装した悪党数百人に取り囲まれた一人の戦士であり、無実の罪で投獄され日夜脱獄を試みている囚人であり、虐待されている動物である。神は状況によっては有能ではあるが、全能ではない。

イエス・キリストは自らの死によって神がこの宇宙で陥っている不利で悲惨な有様を現したのであり、人類の罪を背負って死刑になったのではない。

 

  

詩篇 95:3-6 (聖書 新改訳2017)

 

まことに主は大いなる神。

すべての神々にまさって、大いなる王である。

地の深みは御手のうちにあり

山々の頂も主のものである。

海は主のもの。主がそれを造られた。

陸地も御手が形造った。

来たれ。ひれ伏し 膝をかがめよう。

私たちを造られた方 主の御前にひざまずこう。

 

  

詩篇 96:4-13 (聖書 新改訳2017)

 

まことに主は大いなる方

大いに賛美される方。

すべての神々にまさって恐れられる方だ。

まことに どの民の神々も みな偽りだ。

しかし主は天をお造りになった。

威厳と威光は御前にあり

力と輝きは主の聖所にある。

もろもろの民の諸族よ 主に帰せよ。

栄光と力を主に帰せよ。

御名の栄光を主に帰せよ。

ささげ物を携えて 主の大庭に入れ。

聖なる装いをして 主にひれ伏せ。

全地よ 主の御前におののけ。

国々の間で言え。

「主は王である。

まことに 世界は堅く据えられ揺るがない。

主は公正をもって諸国の民をさばかれる。」

天は喜び 地は小躍りし

海とそこに満ちているものは 鳴りとどろけ。

野とそこにあるものはみな 喜び躍れ。

そのとき 森の木々もみな喜び歌う。主の御前で。

主は必ず来られる。地をさばくために来られる。

主は 義をもって世界を

その真実をもって諸国の民をさばかれる。

 

  

詩篇 97:7-12 1(聖書 新改訳2017)

 

すべて偶像に仕える者

偽りの神々を誇る者は恥を見る。

すべての神々よ 主にひれ伏せ。

シオンは聞いて喜び

ユダの娘たちも 小躍りしました。

主よ あなたのさばきのゆえに。

主よ あなたこそ

全地の上におられる いと高き方。

すべての神々を超えて 高くあがめられています。

主を愛する者たちよ。悪を憎め。

主は 主にある敬虔な者たちのたましいを守り

悪者どもの手から 彼らを救い出される。

光は 正しい者のために蒔かれている。

喜びは 心の直ぐな人のために。

正しい者たち。主にあって喜べ。

その聖なる御名に感謝せよ。

 

 

 

詩篇 82篇 (聖書 新改訳2017)

 

神は 神の会議の中に立ち

神々のただ中でさばきを下す。

 

いつまで おまえたちは不正をもってさばき

悪しき者たちの味方をするのか。  セラ

弱い者とみなしごのためにさばき

苦しむ者と乏しい者の正しさを認めよ。

弱い者と貧しい者を助け出し

悪しき者たちの手から救い出せ。

 

彼らは知らない。また 悟らない。

彼らは暗闇の中を歩き回る。

地の基は ことごとく揺らいでいる。

わたしは言った。

「おまえたちは神々だ。

みな いと高き者の子らだ。

にもかかわらず おまえたちは人のように死に

君主たちの一人のように倒れるのだ。」

 

神よ 立ち上がって 地をさばいてください。

あなたが すべての国々を

ご自分のものとしておられるからです。

 

 

 

ヨハネの福音書 第10章 34-39 (聖書 新改訳2017)

 

イエスは彼らに答えられた。「あなたがたの律法に、『わたしは言った。「おまえたちは神々だ」』と書かれていないでしょうか。

神のことばを受けた人々を神々と呼んだのなら、聖書が廃棄されることはあり得ないのだから、

『わたしは神の子である』とわたしが言ったからといって、どうしてあなたがたは、父が聖なる者とし、世に遣わした者について、『神を冒涜している』と言うのですか。

もしわたしが、わたしの父のみわざを行っていないのなら、わたしを信じてはなりません。

しかし、行っているのなら、たとえわたしが信じられなくても、わたしのわざを信じなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしも父にいることを、あなたがたが知り、また深く理解するようになるためです。」

そこで、彼らは再びイエスを捕らえようとしたが、イエスは彼らの手から逃れられた。

 

 

 

ヨハネの福音書 第14章6 (聖書 新改訳2017)

 

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。

 

 

  

ローマ人への手紙 8:29  (聖書 新改訳2017)

 

神は、あらかじめ知っている人たちを、御子(イエス・キリスト)のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。

それは、多くの兄弟たちの中で御子(イエス・キリスト)が長子となるためです。

 

 

 

コリント人への手紙 第二 11:23‐33 (聖書 新改訳2017)

 

彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうです。

労苦したことはずっと多く、牢に入れられたこともずっと多く、むち打たれたことははるかに多く、死に直面したこともたびたびありました。

ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、一昼夜、海上を漂ったこともあります。

何度も旅をし、川の難、盗賊の難、同胞から受ける難、異邦人から受ける難、町での難、荒野での難、海上の難、偽兄弟による難にあい、 

労し苦しみ、たびたび眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さの中に裸でいたこともありました。

ほかにもいろいろなことがありますが、さらに、日々私に重荷となっている、すべての教会への心づかいがあります。

だれかが弱くなっているときに、私は弱くならないでしょうか。だれかがつまずいていて、私は心が激しく痛まないでしょうか。

もし誇る必要があるなら、私は自分の弱さのことを誇ります。

主イエスの父である神、とこしえにほめたたえられる方は、私が偽りを言っていないことをご存じです。

ダマスコでアレタ王の代官が、私を捕らえようとしてダマスコの人たちの町を見張りましたが、

私は窓からかごで城壁伝いにつり降ろされ、彼の手を逃れたのでした。

 

 

 

文学や映画はイエス・キリスト的キャラクターを用いてイエス・キリストの伝説を現代的に再構築している

  

・脇腹の傷、両手の平の傷、足裏の傷など聖痕と同じ個所を負傷する登場人物はキリスト性を示唆している。

映画「マグニフィセント・セブン」のギャンブラーのガンマン、映画「ザ・ウォーク」の主人公、映画「Fatman (日本語タイトル:クリスマスウォーズ)」のサンタクロース、映画「ダイ・ハード」の主人公、映画「ジャッジ・ドレッド(2012)」のドレッド、映画「Bone Tomahawk (日本語タイトル:トマホーク ガンマンvs日本人 )」の保安官、「Brawl in Cell Block 99 (日本語タイトル:デンジャラス・プリズン )」の主人公、ジェームズ・ディッキーの小説「Deliverance (日本語タイトル:救い出される)」の主人公、映画「クワイエット・プレイス」の父親と母親など。映画「300(スリーハンドレッド)」の時代設定はキリスト登場以前の古代ギリシアだが、レオニダス王の死様は十字架風でイエス・キリストをイメージしている。

 

 

・マグダラのマリアあるいは聖母マリア的なキャラクターを対置することでキリスト性を際立たせる

ポール・オースターの小説「リヴァイアサン」の中でベンジャミン・サックスはイエス・キリスト、マリア・ターナーは聖母マリア、リリアン・スターンの娘マリアはマグダラのマリア。

 

映画「Womb (日本版タイトル:愛を複製する女)」の中で主人公レベッカはマグダラのマリア、その事故死した恋人トミーはイエス・キリスト、そのクローンの子どもトマスは全てのキリスト教徒。

 

映画 「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」三部作の中でエレナ・リンカーン(ミセス・ロビンソン)はマグダラのマリア。クリスチャン・グレイはイエス・キリスト。アナスタシア・スティールは全てのキリスト教徒。パート2で自宅に呼んだ美容師は聖霊?(三位一体の聖霊は男性でも女性でもない。)

 

・長髪の男性あるいは長髪+ヒゲのキャラクターはキリスト性を暗示している

映画「リボルバー」のジェイソン・ステイサム、映画「コン・エアー」の主人公、映画「ザ・レスラー」の主人公、映画「アルゴ」のCIA工作員の主人公、映画「ウルフアワー」のヒゲで小太りの長髪の男娼、「ウェンディ&ルーシー」の暗闇の森の中で現れた長髪の男、白髪の警備員 など。

 

 

 ・霊的下層階級あるいは人類を搾取する独裁者と化した闇のイエス・キリスト、あるいはキリスト性への誤った接近によって自滅する人間

フィリップKディックの小説「火星のタイムスリップ」の中で執念深い強欲な水利労組組合長のアーニイ・コットはイエス・キリスト、ドリーンはマグダラのマリア。

 

フィリップKディックの小説「パーマー・エルドリッチ 三つの聖痕」の中でP・Pレイアウト社の取締役社長レオ・ビュレロは神もしくはイエス・キリスト、パーマー・エルドリッチはその覇権を覆そうとする悪魔。「レオ」=ライオンの意味、ライオンはキリストを象徴する動物。

 

 フィリップKディックの小説「流れよわが涙と警官は言った」の中でフェリックス・バックマンはイエス・キリスト、その双子の妹であり恋人であるアリスはマグダラのマリア。イエス・キリストの降臨を予言した旧約聖書の雅歌 第五章1「わが妹、花嫁よ、私は私の庭に入った」で示唆していたイエス・キリストとマグダラのマリアを近親相姦という退廃的で破滅的な関係性として描いている。

 

ジム・トンプソンの小説「おれの中の殺し屋」の中で保安官補ルー・フォードはイエス・キリスト、あるいは転落死した兄が本物のイエス・キリスト。

 

ジム・トンプソンの小説「ポップ1280」の中で保安官ニック・コーリーはイエス・キリスト。

 

 

 ・本物のキリスト性と偽のキリスト性

ウィリアム・フォークナーの小説「八月の光」の中で黒人の混血クリスマスは偽キリスト、元牧師のハイタワーは偽キリスト、クリスマスに殺害されたジョアナ・バーデンはマグダラのマリア、クリスマスを裏切ったジョー・ブラウンはユダ、リーナは聖母マリア、バイロンはヨセフ。

 

 

・本物のキリスト性VS偽のキリスト性

映画「ジャッジ・ドレッド(2012)」の中で脇腹を負傷するドレッドは本物のキリスト、脇腹を負傷する麻薬組織の女ボスは偽のキリスト。

 

映画「ダイ・ハード」の中で日本企業ビルを占拠する12人の武装強盗集団は偽キリスト。主人公のジョン・マクレーンは本物のキリスト。

 

映画「ランボー・ラストブラッド」の中では主人公ランボーが短髪になり、敵役のメキシコマフィアが長髪で十字架のネックレスをぶら下げている。最後の馬小屋のシーンはキリストの出産を連想させる。メキシコマフィアは偽物のキリストであり、脇腹を負傷したランボーは本物のキリスト。

 

映画「Non-Stop (日本語タイトル:フライト・ゲーム)」の中で主人公は本物のキリスト、もう一人の裏切り者で長髪の航空保安官は偽のキリスト(なぜかこの役者は「The Passion of the Christ (日本語タイトル:パッション)」でキリスト役を演じたジム・カヴィーゼルに似ている)。

 

映画「Escape Plan (日本語タイトル:大脱出)」の中で監獄船の所長は偽のキリスト(役者は「パッション」でキリスト役を演じたジム・カヴィーゼル)、脇腹を撃たれたイスラム教徒の囚人は本物のキリスト。

 

映画「Violent  (日本語タイトル:さよならのとき)」(2014)の冒頭で発電所?の爆発に巻き込まれて死んだ主人公の走馬灯の終末映画。長髪とヒゲの工具店?店長は偽のキリスト。パソコンモニターに一瞬映る発電所のメルトダウン?を警告していた長髪とヒゲの活動家は本物のキリスト。祖父は北欧でキリスト教が浸透する以前の古代異教の神。

 

映画「ノクターナル・アニマルズ」の映画内の小説の主人公は何も守れず何も救えない、男として無力で無能なキリストであり、主人公の妻と娘を拉致してレイプして殺害した犯行グループの主犯の男は偽のキリスト。偽キリストの男達にレイプされ殺害された妻と娘は全てのキリスト教徒の末路。

 

映画「ザ・ロード」の長髪の父親は状況によって幾度か利己的な行動を取ってしまうが断片的なキリスト性を有する一般人であり、長髪の人肉食集団は偽のキリスト性を表す。

 

 

・キリスト性の喪失と再生

映画「A Walk Among the Tombstones (日本語タイトル:誘拐の掟)」の冒頭のアル中の刑事時代の主人公は長髪とヒゲでキリスト性を表す。過去に銃撃戦で少女を誤射したことでキリスト性を喪失した主人公の贖罪と再生を描いている。

 

・偽のキリスト性VS偽のキリスト性

映画「The Last Duel (日本語タイトル:最後の決闘裁判)」の中で騎士の妻をレイプした従騎士は偽のキリスト。従騎士に妻をレイプされた騎士は偽のキリスト。

 

映画「エイリアンズVSプレデター2」の中で長髪?で脇腹を負傷するプレデターは偽のキリスト、長髪?のプレデリアンは偽のキリスト。主人公の夫はたぶん本物のイエス・キリスト。

 

・全人類が偽キリスト化

リチャード・マシスンの小説「アイ・アム・レジェンド」の中でロバート・ネヴィルは本物のキリスト、吸血鬼になった人類は偽キリスト、吸血鬼を掃討する新人類は偽キリスト。

 

・偽キリストに偽装する

映画「Homefront(日本語タイトル:バトル・フロント)」でギャングに潜入捜査する長髪のジェイソン・ステイサムは偽装された、あるいは押し付けられた偽キリスト。

 

初代偽キリストは福音書に登場するキリストの代わりに釈放される強盗バラバ(マタイ福音書ではバラバ・イエスであり、イエス・キリストと同じ名前) 。福音書でイエス・キリストの容姿に全く言及がないのは、外見の類似性を悪用して救世主を自称する偽キリストの出現を警戒したためだろう。

 

 ・キリスト性の人間至上主義からの脱却

野生動物のドキュメンタリー映画「アース」の水を求める群れを率いるリーダーの象はモーセ、白熊はイエス・キリスト。

 

 

 

注意すべきフィクション

日本ではキリスト教に対する不注意や無理解、悪意を持つ作者が、そのイデオロギーに沿って「性犯罪者のキリスト」「高利貸しのキリスト」などキリストを悪霊的存在や非正統な人格や行動をする者に置き換えっぱなしにする、利他的行動や自己犠牲に殉じる正統なキリスト的キャラクターを異教的なテーマに奉仕させるなどの邪悪な神話を製造しようとする試みが一部の漫画やアニメで見受けられる。

孤立、迫害、逮捕といった形式上の要件を満たしただけで自分が再現されたキリストになったと思い込み、内実の歪んだ利己心や不道徳性を宗教的に正当化しようとする誇大妄想の変質者は現実にも存在している。  


 

 

その他:善意を持って善行に取り組み、悪の結果に回収されてしまう予定説的な「選ばれざれし者」

映画「クワイエット・プレイスPART2」で自分達が乗ってきたボートで怪物を引き連れてしまったエメット。「フレンチコネクション」の主人公。「アラビアのロレンス」のロレンス。ソポクレス「オイディプス王」。シェイクスピア「ジュリアス・シーザー」のブルータス 、映画「The Counselor(日本語版タイトル:悪の法則)」の弁護士、映画「ソウ」シリーズで末期癌になったあげく交通事故に遭い脇腹を負傷していたような気がするジグソウ(ジョン・クレイマー)以外の登場人物全て。

 

善意を持って善行に取り組み、悪の結果に回収されてしまう予定説的な「選ばれざれし者」に見えてやっぱり「選ばれし者」だった...たぶん。

映画「The Game(日本語版タイトル「ゲーム」)の主人公、映画「オッペンハイマー」

 

 

大谷翔平の30号をゲットしたジョン・クレイマーさん   2024年7月22日 スポーツニッポン

https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2024/07/22/kiji/20240722s00001007137000c.html

 

飛距離473フィート(約144.1メートル)を記録する特大弾は、今季から球団とパートナーシップ契約を結んだ100円ショップ「ダイソー」を展開する大創産業(広島県東広島市)の看板「DAISO」の近くに着弾した。

 

記念すべき30号をゲットしたのはロサンゼルス在住のジョン・クレイマーさん(28)だ。自身の座席は左翼スタンドだが「何か食べよう」と外野スタンド後ろにあるセンターフィールドプラザを歩いていた。

 

すると、スクリーンに大谷が写り「打つんだ」と思って立ち止まって大谷の打席を映像でチェックしていると「ホームランボールが僕の頭を超えて落ちてきたんだ」とすぐそばに飛んできたという。

 

そのボールをすかさずゲットし「本当にいい時にいい場所にいた。たまげたよ。本当にラッキー」と声を弾ませ「今まで本塁打ボールを手に入れたこともなかったんだ。球場に来るのは年に4、5回。箱に入れて机の上に飾っておくよ」と笑みが止まらなかった。

 

強運の持ち主は一瞬にしてヒーローとなり、その場に居合わせた人たちが30号ボールと一緒に「写真撮って」とせがみ、クレイマーさんの元には多くの人が。50人以上に記念写真を“おねだり”された。

 

 

 

たぶんイエス・キリストについて”も”歌っているロックアルバム

 

Pink Floyd - The Dark Side of the Moon

このアルバムに描かれている狂人とはたぶんイエス・キリスト”でも”ある。

 

Pink Floyd - Wish You Were Here 

たぶんいつまで経っても帰ってこないイエス・キリスト”についても”歌っている。

 

The Who - Quadrophenia

邦題は「四重人格」。このロックオペラの主人公である10代の若者は四つの人格(四つの福音書あるいは、四つの教会:カトリック、正教会、プロテスタント、聖公会)を背負わされたイエス・キリストを体現するキャラクター”でも”あるかもしれない。

 

Quadrophenia オーケストラ版

 

Jethro Tull - Aqualung

このアルバムの登場人物のアクアラングはホームレスになったイエス・キリスト”でも”あるかもしれない。